インフルエンサーと呼ばれる人達の気持ち悪い文化について

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ネット上で影響力のある人をインフルエンサーと呼ぶらしく、主にSNSやyoutubeなどの情報を発信できるウェブメディアにて、何らかの情報を発信して広告収入やコラボなどによる収入を得るのがインフルエンサーと呼ばれる人たちのビジネスモデルである。

しかし、そんなインフルエンサーと呼ばれる人達には独特の文化がある。そして、その文化がときに見る人から見れば上手く言葉に表現できない一種の異様さ、気持ち悪さを感じさせてしまうことがある。

今回は、そんなインフルエンサーと呼ばれる人たちの独特の文化の気持ち悪さについて、個人的な見解を踏まえて解説していきたいと思う。

 

インフルエンサーと呼ばれる人達の気持ち悪い文化

弱小インフルエンサーはファン数が多いインフルエンサーには全肯定で媚びへつらう

まず、インフルエンサーはその影響力の差によって(明文化はされていないが)優劣や上下関係が存在している。

わかりやすく言えば

フォロワー・チャンネル登録者数が多いインフルエンサー >>> フォロワー・チャンネル登録者数が少ないインフルエンサー

という、力関係がある。リアルの世界と違うのは、この力関係がフォロワー・チャンネル登録者数という客観的な数字で表されているという点である。

つまり、数字が多ければそれだけで正義であり、絶対であり、儲け(=金)につながる…とみなされている。

そんな数字を持ってインフルエンサーのおこぼれをもらおうと、弱小・新規のインフルエンサーが必死に肯定的な反応や”よいしょ”のコメントを残したり、心酔しているインフルエンサーのRTや情報拡散、インフルエンスされて芸風をものまねする…という全肯定し媚びへつらう文化がある。

もちろん、仕事のためな仕方はないと思うが、それを踏まえて見ても非常に卑しさや露骨さといった人間にみっともなく汚い部分が透けて見えるので、うっかり目にしてしまうと非常に不愉快な気分になるのは無理もない。

 

自演アカウントで自分は有名である、人望があると演出する

数字を持っているインフルエンサーのなかには、その数字が実は(規約違反だが)有料で購入したフォロワー&チャンネル登録者であったり、自分が持っている複数のアカウントを駆使して、自分の本アカウントにサクラのコメントを定期的につけることで自分の人望を演出していることがある。

つまり、自作自演をして自分を大きく見せるという、たいへん不誠実で優良誤認と言ってもおかしくない独特の文化があるのだ。

見せかけとして人気があることを演出できれば、「あの人は人気があるんだな(=誰にも相手にされていない人だから近寄りやすい!)」と騙される人が出てきて、次第に本当のファンを獲得できるかもしれない。

しかし、本当のファンを獲得できたとしても、そのファンはなかば騙すような形で集めたという事実は消えない。また、「嘘をついてファンを手に入れた」という成功体験が、インフルエンサーとして嘘をついて数字を上げる事への抵抗感や罪の意識をなくしてしまい、最終的には炎上&失望を招く要因になるのだ。

 

「批判は悪である」と主張して間接的に言論をコントロールする

すぐ上でも言ったが、インフルエンサーのなかには嘘を使って自分をよく見せてきた疚しい経歴があるために、その疚しさに批判が入るのを恐れていることが多い。(そもそも、インフルエンサー自体胡散臭い存在なので批判の的になることは多いが…)

そのためか、インフルエンサーの間では

  • 「批判は悪、ポジティブで優しい世界を目指そう!」
  • 「批判をするような人は暇人だから、構わなくてもOK」
  • 「批判は何も生まない。ただの時間の無駄だ」
  • 「批判する人は他人に期待し依存するばかりのかわいそうな人間だ」
  • 「人間の脳は他人への批判を自分の批判と受け取ってしまうと科学的に照明されているから、批判はメンタルに良くない。」

というように、ことごとく批判をNGとする主張が目立つ。

一見すると良いことを言っているように思えるが、その実態は自分自身が批判の矛先にならないようにするために、自分のファンを誘導しているとも解釈できる。

つまり、普段から疚しいことをしているからこそ、その疚しさにスポットライトが当たらないように、頻繁に批判することそのものを批判しているのだ。

 

主義主張の先鋭化、ツッコミが不在でカルト化する

ことごとく批判をNGとした結果、インフルエンサー界隈は非常にポジティブな空気感が漂っている。およそ、殺気立っているような血の気の多い界隈とは違う。

しかし、これは批判をNGとしてできた結果であり、言い方は悪いが強い同調圧力がある。殺気立ってこそいないが、「インフルエンサーに対して批判的な意見を出せば自分に批判の矛先が向かってしまう」という、静けさの中にピリピリとした緊張感が漂う不穏さがある空間である。

そして、批判的な意見がなくインフルエンサーを肯定し、持ち上げ、調子に乗らせるような雰囲気であるため、次第に思想や主張が先鋭化してしまう光景がよく見られる。

明らかにインフルエンサーが勘違いを強めていても、それに対して批判する声は出ない。仮に批判的な意見を持っても、それを告げる人は出てこない。むしろ、そっとコミュニティから距離を取ることのほうが多い。

こうしてインフルエンサーに「あなた最近どう考えても変ですよ」とツッコミを入れてくれる人がおらず、カルト化を許してしまう事がインフルエンサー界隈の異様な文化である。

 

都合の悪いことにはだんまりor被害者ぶって自分のファンに助けを求める

インフルエンサーが調子に乗りすぎて炎上したり、他人に強い迷惑を与えてしまい責任が追及される場面になると、インフルエンサーはだんまりを決め込むor被害者面をして自分のファンに擁護を求めるという、にわかに信じがたい文化がある。

そして、この状態になればインフルエンサーの信奉者も同様に勘違いを強めており、弱っているインフルエンサーを問答無用に庇ったり、インフルエンサーの被害にあった人を逆に攻撃することがある。

※なおネットスラングでは、こうした信奉している対象を擁護し加勢する行動を取る人をファンネルと呼ぶ。

 

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