陰謀論にはまってしまった人をウォッチして気づいたことについて

インターネット
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非常に悪趣味な趣味で恐縮だが、私はネット上でなんとなく気になったyoutuberやSNSのアカウントを陰ながら観察すること…つまり、ネットウォッチが趣味である。

今回はそんな悪趣味を嗜んでいる中で見つけた、いわゆる陰謀論にはまってしまった人を数ヶ月ほど追って感じた事、気づいた事などをまとめていこうと思う。

※なお、個人の特定を防ぐためにアカウント名やチャンネル名について伏せる。

 

孤独と無理解のストレスに苦しんだ果てに自己啓発・スピリチュアルの世界に迷い込んでいたもよう

陰謀論にはまっていった人のプロフィールをざっくり説明すると、働ける年齢・健康状態であるのにもかかわらず働いていない…つまり、無職である。

また、無職になる前はどうも人間関係で苦労しており、集団の中で浮いてしまうことや周囲からの無理解、孤立によるストレスで苦しんでいることを動画内で語っていた。

要するに社会からはじかれてしまったという経歴を持っていた人だった。ただ、だからといって人間関けをすべて絶って生きていこうというわけではなく、むしろ自分に合う人を探し求めている様子が伺えた。

投稿されている動画を見ると「人生うまくいってない自分を知ってほしい」とか「社会の底辺みたいな自分の発信する情報で誰かの役に立ちたい」という思いを、陰謀論にハマる前はよく口にしていた。

 

ちなみにだが、陰謀論にハマる前はスピリチュアルや自己啓発にもハマっていたであろうことが動画やSNSのアカウントから確認できた。

なお、これは私の経験上から感じたことだが、人生に行き詰まった人の多くは、精神的な救いを求めるべく自己啓発や心理学、スピリチュアルや瞑想などに手を出す傾向がある。

決して現実と折り合うとか、妥協することを目指すのではなく、現実から逃避するためのもっともらしい口実が見つかりそうな胡散臭い分野に逃げ込んでしまう。そういう現実逃避癖が染み付いている精神構造の持ち主だからこそ、社会の中で生きづらさを強く感じてしまうのだろうなぁと感じた。

 

 

「陰謀論は数字が取れる」と学習したのか、積極的に陰謀論に関する動画をアップして収益化を達成

初期は自己啓発やスピリチュアル、自分の半生を語る(没個性的な)動画や心情を吐露する動画をよくアップしていたが、この手の動画は再生数が伸び悩んでいた。

そんな中、ある日アップした陰謀論に関する動画…それも、政治絡みの不安を煽る趣旨の動画がチャンネル始まって以来のヒットを記録した。再生数はギリギリ1万に届かない程度だったが、今まで100再生に届かないのが当たり前だった中では異例のヒットであった。

その後は「陰謀論に関する動画は数字が取れる」ということを学習したのか、ほぼ毎日2~3本陰謀論に関する動画をアップし続け、気が付けがばチャンネル収益化を達成。動画に広告が掲載されるようになり、毎月お小遣い程度の収益は稼げるようになった模様だった。

また、動画がよく再生されるようになってからコメント欄も活発になり、コメントしてくれた方々への感謝の言葉を述べる動画をよくアップしている様子が伺えた。

今まで無理解に苦しみ孤独に悩んだ人だからこそ、ネット上で温かい交流ができるのは非常に喜ばしいことだろう……陰謀論にハマっている者同士であることを除けば。

 

 

「自分を大事にする」が「自分さえ良ければいい」という発想に変化しているように思える

初期の方の動画の中で、この投稿主は「今まで散々苦しい思いをしてきたからこそ、自分で自分を責めるようなことはしない。自分だけは自分の味方。自分で自分を大事にします」という類のことを話していた。

陰謀論にどっぷりハマり、それで広告収益を得ている今になって、その当時の言葉を振り返ると、どうしても「自分を大事に」という綺麗で優しいものには思えない。

シンプルに「自分さえ良ければいい」という私利私欲のために陰謀論を撒き散らしている…一銭を手にしてしまったがために、一線を超えてしまった系youtuberになっているという印象が拭えなかった。

 

なおコメント欄を見ても、陰謀論を語る投稿主を批判するコメントは(削除されているのかは不明だが)確認できず、どれも肯定的でチャンネルを支持・応援する内容がたくさん投稿されていた。

また、コメント欄をじっくり見ているとコメントをしてきた人の生活状況であったり、今までの経歴が伺える内容が確認できた…が、そのどれもがいわゆる社会から弾かれた人である事が伺えるものであった。

わざわざコメント欄で自分の個人情報を語らなくてもいいのにとは思ったが、見方を変えれば普段の生活で十分に承認欲求を満たせる機会が乏しいからこそ、誰かが投稿した動画のコメント欄を某匿名掲示板のように扱い、隙あらば自分語りをするつもりで交流している…という風にも見えた。

この光景を見てだが、どことなくかつて意識高い系学生の時代に入り浸っていた自己啓発セミナーの会場の雰囲気に近いものを感じて、改めてゾッとする恐ろしさに近い感情を感じた次第である。