私がまだ意識高い系の大学生だった頃の話、当時所属していた学生団体の中で、学生主体の町おこしイベントを開催するためにクラウドファンディングを行った…が、結果は目標金額に届かず、規模を大幅に縮小してイベントと呼べる何かを開催するということがあった。
要するに、クラウドファンディングでの資金調達に失敗したという話なのだが、今回はこのことについて過去を振り返るような感じで個人的な見解を述べていく。
(※なお、一応プライバシーに配慮して、個人や団体名を特定しないようにしている。)
町おこしとは名ばかりで就活のための実績作りであることが見透かされていた
クラウドファンディングを実施した当時は、いわゆる「ゆるキャラ」を用いた町おこしブームが加熱しており、その波にうまいこと乗るために学生主体の町おこしイベントであることを売りにして、資金調達を成功させようという目論見が団体内にあった。
なお、当時の私は「ナニワ金融道」や「カイジ」、「闇金ウシジマくん」など、金に対するシビアな価値観が嫌でも身に付く作品を嗜んでいたこともあって、当初はクラウドファウンディングに否定的だった。しかし、団体の意向に一人で抗うことはできず「まぁ、何事も経験だよね」という感じで、イベントの裏方として協力する形であった。
ただ、裏方とはいえ実際に町おこしのイベントとなる地元の商店街の方々にご挨拶に行くことは多々あった。
その時に感じたのは、表面的には若者が頑張っている姿を応援しようという好意的な反応を示しているが、どうも
- 「そんなイベントをやって商店街側にどういう利益があるの?」
- 「君たちの思い出作りのためにどうして店側が資金や労力を出さなきゃいけないの?」
- 「その企画、他人の財布をアテにするよりも自己資金でどうにかやれないの?」
という類の、懐疑的で否定的な反応を感じることが多々あった。
団体内ではそういう否定的な人について思うことがある人は多かったし、「そういう姿勢だから商店街は寂れて若者が流出するんだよ」という声も上がっていた。
ただ、そういう懐疑的・否定的な声を上げる人対しても、なんとか説得するとか交渉で妥協点を探るなどの術を持ち合わせていないということを思い知るいい機会であったと思う。
当時珍しかったクラウドファンディングで資金調達をすると強く説明しても、金の無心ではなく投資に近いお祭りみたいなイベントだと説明しても、その金額に見合うものを提供してくれるとは思われていない…という身も蓋も無い事実を思い知るにはいい経験だったと思う。
クラウドファウンディングを失敗にさせた人の思いについて
ここからは私の憶測が含まれるが、イベントの内容はまちおこしを謳っただけの、よくある大学生文化祭程度のイベント程度の印象であった。
そんな低レベル且つ「それ、町おこしとやる意味あるの?」とツッコミが入るようなほどに計画段階ですら詰めの甘さが見えるイベントに対して、何があろうとびた一文もお金を出さない方がいい教育になる…と考える大人が多かったのではないかと思う。
- 「ここでホイホイとお金を出してしまって変な成功体験を植え付けてしまったら、未来ある学生の金銭感覚が狂ってしまいかねない」
- 「人から金をもらう。それも労働ではなく投資として資金調達することの厳しさを、身をもって教えなければならない。」
という類の考えを持っているからこそ、いくら「若者が寂れた商店街を盛り上げるために頑張る」という物語を展開しても流されなかった。
応援はするが支援はしないという姿勢を取った人が多かった結果、クラウドファウンディングは失敗に終わったのだと思う。
最後に
まぁ、ご挨拶に行った商店街の方々の多くは個人事業主の方であり、融資の審査や補助金の申請、店の運営はもちろんことや資金繰りの大変さなどを相当経験されているはずである。
そんなお金であったり働くことに対してシビアになることを普段からしている人から見て、まだロクに働いてもいない青臭い学生に「町おこしイベントをやるので支援してください!」と言われたらカチンと来るのも仕方ないよなぁ…と、現在フリーで活動している私は強く感じる。
金にシビアな人から見れば、他人を遊ばすために自分の身銭を切る理由はどこにも無い。おまけに、「町おこし」みたいなそれっぽい美辞麗句や大義名分を並べ立てて資金調達する若造は、姑息というか、卑怯というか、楽してお金が欲しいだけの甘ったれで世間知らず…と感じるのも無理はない。
…ということを書くと「時代遅れの昭和のおじさんの発想」とか「若者の邪魔をする老害」と意識高い系の方々はおっしゃるかもしれないが、その”おじさん”や”老害”と説得や交渉をする技術は、若いうちから身につけておいて損はないと思う。
若いうちは世界は自分を中心に回っていると思いがちだし、とくに意識高い系のような(頭がスッカスカな)人はその傾向が強い。
しかし、世界は自分を中心に回っていないことの方が大半。場合によっては目の敵にしている諸先輩方の方が主導権を握っている事も珍しくない。
そういう場面に出くわした時にヒステリーを起こさないためにも、最低限自分の親に当たる年齢や世代の人と上手く話す技術ぐらい持ってて損はないと思う。
年上の方に「理解されない」と嘆くばかりではなく、自分から理解しにいこうという気概ぐらい若いのだから持つべきだろう。
