陰謀論で学校教育を否定する話が出てくる理由の考察

学校・教育関連
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この記事は前回書いた「陰謀論にはまってしまった人をウォッチして気づいたことについて」の続きである。

個人的にネットウォッチしていたあるユーチューバーはしきりに

  • 「学校教育は洗脳であり間違っている」
  • 「学校教育の嘘に気づくことこそ、これからの変化の時代、風の時代に取り残されないためには大事だ」

的な(思春期時代に一度は見聞きしたことがあるかもしれない厨二病臭がプンプンする)話を繰り返していることが目立った。

今回はそんな与太話を何度も聞く中で感じた、私個人の気づきや見解について述べていこうと思う。

 

学校教育の否定は学校生活に良い思い出がない人にとっては「刺さる」話である

学校教育そのものが間違いだとか嘘っぱちであるという類の話は、学校生活に対して良い思い出がない層の人間にとっては非常に気持ちのいい話である。

意地悪な言い方をすれば、

  • そもそも勉強についていけなかった層
  • 勉強が苦手なことにコンプレックスを感じている層
  • 学校での人間関係や教職員との関係がうまくいかなかった層
  • 提出物の遅延や忘れ物が多い、遅刻癖や宿題をしない、部活・給食・学校行事などでの苦労…など生活態度の面で学校生活にいい思い出がない層
  • いじめやメンタルの不調などで学校に通えなくなったor休学や退学を洗濯した層
  • 学歴コンプレックスをこじらせている層

など、学校そのものや学生生活に対してあまりいい記憶や印象がない。むしろ恨みや怒り、不平不満や陰鬱な気持ちなどといった否定的な感情を強く持っている層…つまり、社会不適合な部分が強い層には「刺さる」話なのである。

 

※なお、個人的な補足で恐縮だが、いわゆるお勉強ができる人であっても陰謀論にハマることはあると私は考えている。

「お勉強ができても人間関係で苦労した」「受験はうまくいったが就活が上手くいかなかった」など、勉強以外の面で何かしらの不平不満を感じ場面にて、学校教育の否定を持ち出す話に影響されてしまうことは十分にあると考えている。

 

「普通に勉強し、学校生活に順応してきた人の努力は無駄である」という感覚にハマる

学校教育の否定は純粋に学校生活にいい思い出がない人の傷ついた心に優しく寄り添って癒しを与える…という効能ばかりではない。

むしろ、社会に問題なく適合してきた人達…つまり、ちゃんと勉強していい成績をたたき出して良い学歴(&就職)を手にした人であったり、学生時代からのコミュ力や社交性を発揮して社会で良い生活を送っている人達のように、いわゆる成功している人の成功そのものが、実は成功でもなんでもないと感じるようになってしまう。

その感覚は、今まで成功者と言われている人たちが、社会不適合な自分たちと同じラインに並ぶ。つまり、努力し成功を手にしてきた人たちと同じラインに立って再び勝負ができるという感覚が得られるのだ。

 

また、今まで成功してきた人たちは仮に自分と同じラインで再スタートをしたとしても「学生時代のときのように努力するであろう」と、陰謀論に染まった人であれば感じることだろう。

つまり「間違った学校教育に染まってしまった結果、間違った努力をして失敗するに違いない」と考える。一方で、陰謀論に染まった人達は「自分は間違った学校教育に染まってない。斬新かつ限りなく成功が期待できる方法で努力して成功をつかむ。勝つべくして勝つのは自分たちだ!」と考える。

再スタートして今までの方法で頑張って将来的に失敗する成功者をよそに、自分は涼しい顔をして古臭い嘘にまみれた努力をする人たちには出せない成果を出して圧倒し、見事リベンジを果たす…というような一発逆転妄想による快感に浸れるからこそ、学校教育を否定する陰謀論は社会不適合な層から根強い支持を集めているのだろう。

エリートが落ちぶれるだけでなく、むしろそのエリートに勝てる可能性が出てきた…こういうドラマチックな展開を想起させる話は、フィクション・ノンフィクション関係なく刺さる人はそれなりに多い。

とはいえ、赤の他人の努力が無駄になって振り出しに戻ったとしても、自分のスタートラインはずっと振り出し地点のまま、あるいはその近辺でウロウロしているという状況に気づいているのかは疑問である。

 

最後に

私自身「学校教育は洗脳だ」系の話は陰謀論界隈であろうとなかろうと、全然心に刺さらないというか「こういう与太話が刺さるような人間になってしまったらおしまいだな」と現時点では強く感じている。

こう感じるのは、実際に私が割と学校生活でいい思い出が多いことや受験で希望通りの進路を選べたこと。

そして、意識高い系というの名の頭スッカスカで承認欲求つよつよ系人間と関わって「絶対に頭の悪い人と一緒に仕事をしてなるものか」と強く感じたことが影響しているのではないかと考えている。