インフルエンサーの話を信用してはいけないと感じる理由を説明する

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インターネット上で何かと自己啓発やビジネス(とくに金儲け)に役立つとか、日々の生活の充足や健康増進に役立つなどの情報を発信しては、フォロワー数やチャンネル登録者数を散々主張している人々…つまり、インフルエンサーと呼ばれる人たちの話については、最初から疑ってかかるぐらいの姿勢でいたほうが健全だというのが私個人の見解である。

今回はその理由について個人的な見解を語ろうと思う。(なお、この記事は特定個人や団体を攻撃する意図はない事を最初に補足しておきたい)

 

「分かりやすい話」をしているのではなく「重要だが難しい説明を省いた話」をしているにほかならない

インフルエンサーといえば、仕事や学問などの頭を使う難しい話題をわかりやすく簡単に説明するのが上手だという印象をもたれる方が多いだろう。文章のみならず、図解や動画、場合によっては身振り手振りなどを交えて飽きさせないように説明する姿は、まさに一流のエンターテイナー表現しても問題は無い。

しかし、インフルエンサーの話は分かりやすいが決して正しい事を説明しているとは限らない。むしろ、少々頭を使うけど正しく理解するのに重要な説明を省いた話法をしているために、鵜呑みにしてはいけないのだ。

言い方は悪くなるが、インフルエンサーは難しい話に含まれる難しい部分をカットして、単純な話に仕立て上げている。その結果、難しい説明が無いので頭をひねる労力が要らないからこそ「この人の話は分かりやすい!」とか「この人は説明が上手な人だ!」と錯覚してしまう。

実態は重要だが小難しい部分を削ぎ落とし、単純化されている話を聞いてなんとなく理解できた快感に浸っているだけに過ぎないのにもかかわらず…だ。

(上手な例えであるかは疑問だが)例えるのならインフルエンサーの話は、契約書の欄外に小さく書かれているが見逃してはいけない文章をあえて隠した状態で説明している…そんな不誠実なセールスマンと言ってもいい。

 

肩書きや実績をやけに主張するのは、後ろめたい部分を隠すため

ちなみにだが、何かの説明をするときにやたら自分の肩書きや実績を主張したり、話の引用元(例:○○大学の△△の論文によれば~など)の権威性を主張するのは、意地悪な言い方をすれば自分自身の後ろめたさを隠すために行っていると考えるのが妥当である。

実は自分の説明や解説が正しいように見えて、実際は説明の全てが正しくなくところどころに抜けや漏れがあったりだとか、説明が不十分&説明が偏っているなどの弱点がある。

誰かからツッコミが入ると痛い部分があるからこそ、肩書き・実績・権威性を帯びているものを主張する。これにより「自分のしゃべっていることは完璧で非の打ち所がないものだから、疑うような目で自分を見るな」と暗に主張しているとも言える。

また、更に頭の悪い言い方になるが、肩書きや実績、権威性を示す事で

  • 「自分は偉い存在である」→「偉いからこそ話に説得力があるのは当然だ」→「説得力のある話をするからこそあの人は偉い」…

というように、社会・人生経験が乏しい人やその場の雰囲気に流されやすい人たちを、インフルエンサーたる自分の盲目的な支持者ファンにしようとする意図があるという解釈もできる。

 

 

過去の不幸なエピソードを持ち出してくるインフルエンサーの思惑

なお、疑いの目で見られるのを回避するという点に絞れば、華々しさとは無縁な過去の不幸な出来事を持ち出してくる事例もある。

これは単純に同情や共感を誘う目的の他にも「こんなに不幸な目にあった人に向けて、疑いの目を向けるのは良心が痛む」という心理を利用した、人心掌握術の一種と言ってもいい。

一般的に人は、目の前で弱っている人や過去に苦しい思いをした人に対して、追い打ちをかけるが如く厳しい態度をすることには抵抗を感じるものである。とくに善良で真面目で道徳的名人であればなおさらだ。

そういった抵抗する心理を悪用するようなインフルエンサーは、私の調べた範囲では割と多く確認できた。

貧困、いじめ、うつ病などの精神疾患に関するプロフィールを掲載しているインフルエンサーは、ついつい「不幸な目にあってきたかわいそうで善良な人」だと思いがちだし、そう思ったほうが自分の精神衛生上好ましいものだ。

しかし、くれぐれも弱味を見せたからと言ってそれを鵜呑みにせず、疑いの目を持つべきであるというのが私の持論である。

 

 

インフルエンサーに心酔した集団に飲み込まれる事の危険性

最後に、既にインフルエンサーに感化されてしまった集団に飲みこまれて、自分もまた情弱で、カモで、誰かの養分になりやすい人間だと思われないためにも、インフルエンサーの言うことについては疑いの目を向けるべきである。

これは私の話だが、実生活の中でいわゆるビジネス系インフルエンサーに感化されて、普段の会話の中で「○○さんが動画で言ってた話だけど~」みたいな事を口走り、一瞬だけその場の雰囲気が凍ってしまったことがあった。(なお、話の内容は○○さんを肯定するような話題である)

皆口にしてはいなかったが「この人はあんな胡散臭い人の話を間に受けるような頭の持ち主だったのか…」とか「あぁ、この人は昨今の長引く自粛生活と不安定な情勢のせいで、ついにオカルト地味た世界に行ってしまったのだな」という類の事を言いたそうな様子であった。

いくらネット上で知名度があっても、インフルエンサーの存在はまだまだ疑わしくて胡散臭くて、捕まっていないだけの詐欺師のようなものである…と考えている普通の人は多い。

そういう普通の人から優しく見捨てられないためにも、インフルエンサーの話は信用しないこと。そして自分からその人を持ち上げるような話題をしないことが大事だと思う。

 

 

 

…余談だが、そのうちに冗談抜きに、インフルエンサーの名前を口にすれば「名前を出してはいけないあの人の名を言ってしまった危険人物」とみなされ、それとなく距離を置かれるようになったりして…

 

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