「逃げてもいい」と言う人は無責任だと感じる理由を語る

逃げ癖・負け癖
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仕事や勉強などで辛いことが会った時に「もう逃げてもいいんだよ」という優しい言葉をかける人は、今まさにしんどくて辛い状況にいる人からすれば、非常に心強い存在だと思うことだろう。

場合によっては、その人の優しさについどっぷりと依存したくなる…という気持ちになってしまうこともあるかもしれない。

しかし、私一個人の意見では簡単に「逃げてもいいよ」と口にする人は実に無責任だと思うし、妙に耳ざわりの良い言葉を口にしてくる人に対しては、その言葉に流されず注意すべきだと感じる。今回は、このことについて語ろうと思う。

 

「逃げてもいい」という人はその人の面倒を見る気はまずないと思うのが妥当

「逃げてもいいよ」という言葉を含めて、他人の人生につい口出しをすること自体は誰にでもある…が、その人の人生を大きく左右してしまうような事柄に対して、簡単に口にしてしまう人にはどうしても「この人、本当に軽いというか薄っぺらいなぁ…」という感覚を覚えてしまう。

もちろん「逃げてもいいよ」という人は、目の前にいる辛い状況から逃げたくて逃げたくてしょうがない人を助けたい善良で使命感に溢れている人と思うのが自然ではあるが、その一方で

  • 逃げるための具体的な手段や方法を教えない、超えるべきではないラインは超えてこない、ある意味では優しいけど冷たい人。
  • そもそも逃げるための具体的な手段や方法を勉強してきておらず、他人に具体的な助言はできないがとりあえず「助けたい」という気持ちで突っ走っている人。
  • ただ他人は助けたいが、その人がどうなろうと自己責任であるというスタンスを持ちながら、他人を煽る癖がついている人。

という印象を私は感じてしまう。

低コストで多くの人から「この人は優しい人」と見られたいがためには、実際に自分の発言した言葉で他人がどうなろうと知ったこっちゃない…という姿勢で、無責任に「逃げてもいいよ」と口にしてるのではないかという疑念が私の中にはある。

 

「逃げるな」よりも「逃げてもいい」のほうがネット上での受けは良い

「逃げてもいいよ」という人は、悪口や毒舌などの不快感で煽る人ではなく、安心感や幸福感で他人を煽るである。どちらも他人を煽っていることには変わりはないが、えてして前者の場合は無批判にバッシングされ、後者の場合は無批判に肯定される傾向がある。

とくに、ネット上のコミュニティやSNSのユーザー層が、現実世界でうまくいかない人たちが多くて、そういう人たちが居場所になっているのなら「逃げてもいいよ」という言葉が歓迎されるのは理解できる。

しかし、見聞きして気持ちの良い意見or前向きになれる意見だからといって、その意見を鵜呑みにしてしまったり、ロクに咀嚼せずに「じゃあ今の職場や学校をやめてきます」と行動してしまうのには疑問がある。

 

「逃げてもいい」で逃げてきた人を胡散臭いビジネスへと巻き込もうとしている疑惑

私の考えすぎかもしれないが、現実世界で生きづらさを抱えている人に向けて

  • 学校なんて無意味だから不登校になればいい(学校・勉強からへの逃げ)
  • 会社員なんてそのうちAIに仕事を奪われるからフリーランスになればいい(まっとうに働くことからの逃げ)
  • 自分を理解してくれない人間関係は切って、価値観の合うオンラインサロンに入ればいい(人間関係からの逃げ)
  • コツコツ働いていても日本の将来はくらいから、いっそ一発逆転を狙って大きく稼ごう(まっとうに働くことからの逃げ)

など、なかば強引な主張をして「逃げてもいいよ」という人の存在がネット上で見かけることが最近多くなった。

とくに、インフルエンサーと呼ばれるネット上で大きな影響力を持つ人ほど、こうした逃げの姿勢を無批判に肯定する…というか、まっとうに生きている人に喧嘩を売るようなパワーワードで、逃げたい人の味方のフリをしつつ、その人たちを煽りそそのかしている言動が目立つ。

 

この光景を見て「『逃げてもいいよ』と言って本当に逃げてきた人たちを自分のビジネスの顧客…もとい養分にしたいだけなのでは?」という疑念が拭えなかった。

傍から見れば、困っている人を助けたいという使命感に溢れた立派な人。しかし、少しひねくれた見方をすれば、善意を装って他人を煽って、あえて路頭に迷わせるような行動をするよう仕向ける。

そして、本当に路頭に迷ってしまったとこで自分の展開しているビジネスに誘い込む善人でもなんでもない極悪人のように見えてしまう。

そんな人たちが言う「逃げてもいいよ」という言葉は、言葉だけで見れば正論だし一理はある。しかし、背景まで含めて考えると他人をより不幸な状況へと追い込む、泣かせるような真似をしてまで金儲けをしようとしている社会に仇なす人のように見えてしまう。

結果「逃げてもいいよと最もなことを言ってるけど、それって自分のビジネスのためにただ無責任に他人を煽っているだけでは?」という意見を持ってしまうのだ。

 

「逃げてもいい」と軽々しく言う人には気をつけなさい

「逃げてもいいよ」という優しい言葉が響くのは、おそらく生きている中で何らかの問題に直面して、心が弱っている人である可能性が高い。

判断力も鈍っており、冷静にものごとを考えられなくなっているからこそ、耳障りのよい優しい言葉に惑わされて、つい衝動的に人生の大きな選択を下してしまうのも無理はないだろう。

しかし、私はそんな心が弱っている人にこそ「『逃げてもいいよ』と軽々しく言う人には気をつけなさい」と伝えたい。

 

…もちろん、心が弱っている人にこんな厳しい事を言うのは心苦しいし、聞き入れてもらえないかもしれない。

しかし、上で触れたように心が弱っている人を餌食にするために虎視眈々と狙っているいる人がいるからこそ、努めて冷静になることや、場合によっては自分に善意で近づいてくる人に対して疑念の眼差しを向けてみることが大事だと感じる。

人間は自分の利益のためであればいくらでも優しくなれるものだから…