逃げ癖の末路は悲惨になる理由を語る

逃げ癖・負け癖
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この記事では私がリアル・ネットの世界で今まで見てきた&調べてきた、逃げ癖が直らなかった人の末路についてまとめている。

「自分はこうはなってはいけない」と身を引き締めるのに利用する、逃げ癖で悩んでいる人に現実を付けつけるなど、何らかの参考になれば幸いである。(ただし、利用する場合は自己責任です。)

 

逃げ続けたせいで社会における人望・信用はゼロ

仕事や勉強など、収入や社会的評価に大きく関係している場面で逃げ続ければ、当然ながらコツコツと積み上げてきたものがないために他人から好評価を得るのは難しい。

また、結果はどうあれコツコツ積み上げてきたものすらないという過去のせいで、仕事を任せづらい人とみなされる。つまり、まっとうに働くことが難しくなり、自分で自分の人生をハードモードにしてしまうリスクがある。

後述するが、逃げ癖のある人はたとえ自分より実力が劣ってはいるが、着実に逃げずにある分野で成果を出している人よりも信用も、人望も、将来性もない。

「本気出せば、あの人の成果ぐらい余裕で超えられる」と心の中で意気込んでいても、現実はただ意気込むだけで、他人から正当にジャッジされた結果すら残していない口だけの人間である。そのため、最初のうちは応援されており信用があったとしても、次第に周囲から人が離れていき孤立してしまうのだ。

私自身、クリエイティブ職であるためか、こういった口だけでは威勢のいいことを言うが、実際は大した努力もせず作品も残さないという人に出くわすことが、過去に何度かあった。

しかし、口だけの人はえてしてその後は見かけなくなってしまった。SNSのアカウントを消したり、ホームページを削除するなどして表舞台からは消えてしまった。推察ではあるが、彼らは志は一人前だが、その志を現実のものにすることからも逃げてしまう悪癖があったのではないかと思う。

 

逃げ続けた人は、たとえ結果がでなくとも頑張っている人以下の評価になり、自信を失う

逃げ続けた人は、結果はどうあれ何らかの結果を残している人以下である…とすぐ上で言ったが、もっと辛辣なことを言えば、結果はまだ出ていなくても地道にコツコツ頑張っている人以下である、ということも付け足しておきたい。

逃げ続ける人は地道にコツコツ頑張ることからも逃げるので、他人から見て将来性を感じにくい人である。

一方で結果こそ出ておらず、正直言って効率的ではない努力をしている人は「まだまだ未熟だけど、熱意があって効率的な努力の方法がわかれば、この人は大きく飛躍しうる人だ」という可能性を関わる人に与えてくれる。そして、そんな努力に打ち込む姿勢に感化されて、周囲の人を前向きにしてくれる人でもある。

それと比較して、地道な努力から逃げて口だけにとどまっている人というのは、実に期待も希望も感じさせない人なのは明白であろ。

 

社会との断絶から、貧困、孤立、閉塞感に悩まされる

逃げ続ける人は「関わってもあまり有益ではない、自分を刺激してくれない人である」とみなされてしまい、次第にまっとうに社会で生きている人からは距離を置かれてしまう&まっとうに生きている人が営む社会に馴染めずなくなる傾向がある。

誤解を恐れずに言えば、社会との接点が絶たれてしまい孤立する。そして貧困に悩まされたり、今まで逃げ続けた自分の過去が足かせとなって、まともに生きている人から信用を得づらくなり、世の中に対して閉塞感を抱いてしまうのだ。

もちろん、同じような境遇を辿ってきた者同士で意気投合することもあるが、それはえてして逃げて来た者同士でお互いにお互いの傷を舐め合う、馴れ合いの人間関係に陥ってしまう怖さと表裏一体である。

馴れ合いの和の中に馴染めば馴染むほど、まっとうに生きている人たちと関わりを持ちづらくなるし、むしろまっとうに生きている人たちに対して敵視してしまい、ますます生きづらさを強めてしまう怖さがあるのだ。

 

楽な方へと逃げ続けて、人生一発逆転を狙ってより追い込まれる

楽な方へと逃げ続けた結果、社会の下層に落ちて貧困や無理解に苦しんでいる人は、まともに努力することから逃げ続けたことが仇となり、小さな労力で大きな手柄を得ようとする考え方が身についてしまう。

つまり、

  • 楽して大儲けしたい
  • 楽して自分の考え方を変えたい
  • 楽して体型を変えてキレイになりたい、美しくなりたい

という具合に、楽な方法で人生の一発逆転を狙うようになってしまうのだ。

もちろん、まっとうに生きている人からすれば「何を都合のいいことを言っているのだ」と一蹴されてしまいそうな考え方ではあるが、逃げ続けている人はこの考え方を純粋に信じてしまう。いや、信じずにはいられないのだ。

楽、簡単に、手軽に人生が一発逆転する方法があると信じておかないと、閉塞感に押し潰されて自分が保てなくなる。だからこそ、信ぴょう性が限りなく低い一発逆転の方法を強く信じてしまうのだ。

その結果、詐欺にあったり悪徳商法のカモにされたりして、ますます困窮状態へと追い込まれようとしても「一発逆転の方法があるに違いない」という希望を抱いている限りは、向き合うべき自分の逃げ癖と向き合う事から逃げられる。いくら不幸な状況になろうとも、その現実と向き合わない限りは、人生の二番底、三番底…と、いつまでも底のない底へと堕ち続けるのだ。

つまり、逃げ癖の末路として待ち受けているのは、自分自身と真面目に向き合い、まっとうに生きていく事すらも逃げてしまい、ますます自分を不幸へと追い込んでしまう未来である。

 

「逃げる」を利用する場合は計画的に

もちろん、「逃げる」という選択肢をするのは一瞬の恥を味わうこともあるが、長い目で見れば有効な手段であることも多い。戦略的撤退という言葉にもあるように、逃げることは決して悪い選択ではない。

しかし、何でもかんでも逃げ続ければ、いくらなんでも悪い面が出てきてしまい、自分で自分を窮地に追い込んでしまうのは無理はない。

ネット上では「逃げてもいいよ」とか「辛くなったら逃げよう」という優しくも無責任な言葉が多く飛び交っているが、くれぐれも「逃げる」を利用する場合は計画的に。