真面目なのに損している、報われないと感じる人にありがちなこと

真面目
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自分で自分を真面目な性格の持ち主だと自覚している人なら、一度ぐらいは「真面目なのに損をしている、真面目な人は報われないものだなぁ…」と世の世知辛さを嘆いたことがあるかもしれない。

まぁ世の中というのは自分の思い通りにいかないのが世の常であるし、真面目で努力している人が報われず、親ガチャ(正直この概念は嫌いだが)でいい条件の中で育ってきた人が楽に美味しい思いをする姿を見て、自分の不遇さや世の理不尽さを愚痴りたくなる気持ちもわからなくはない。

しかし、私が思うに真面目なのに損をしていると嘆く人の中には、割と自業自得で生きづらくなっているだとか、自分を真面目だと勘違いした結果として自分の人生がつまらなくなってしまっているケースがあると思う。

今回はこのことについて語っていこうと思う。ただし、このブログ記事は真面目で損をしている人に優しく寄り添う内容ではないし、むしろ悩んでいる当人の心に強い負荷かける内容が多く含まれている。そのことを理解した上で、読むor読まないを決めていただければ幸いである。

 

真面目というよりはただ周囲の意見や空気に流されて生きてきた結果、追い込まれる状況に陥っている

真面目なのに損をしている人は、真面目に他人の言うこと、周囲の空気、世の中の流れに従ってコツコツと人生を積み重ねてしまう特徴がある。

誤解を恐れずに言えば、自分の頭で考えずただなんとなく流されて生きるという怠惰な生き方をしてきた結果、人生がうまくいかなくなっているのだ。

もちろん、悪事に手を染めるなど人としての道を踏み外してはいないと点では「真面目」と表現できる。(ただ、こんなゆるい基準だと大半の人が「真面目」になってしまうのだが…)

しかし、自分の人生に対する当事者意識が非常に薄く、ただ自分で考えたり調べたり、責任を取るなどの負荷がかからないような楽で安易な生き方を選んでしまっているために、気が付けばただなんとなく年齢だけ重ねてしまっただけで、あらゆる能力が育っていない空っぽな人になってしまいやすいのだ。

 

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真面目というよりは楽な方に流されて生きているため、基本的な能力の低さや意志の弱さも根深い

すぐ上でも触れたが、真面目というよりは低負荷で楽な方に流されて生きてしまっているために、基礎学力やコミュ力といった、とくに仕事において基礎・根幹となる能力がそもそも十分に育っていない。

加えて、問題に直面した時にどう対処するか考える能力や、問題を前にしても腐らずい問題解決に向けて取り組み続けると能力など、逆境への耐性、ストレス耐性などのメンタル面の能力も流されて生きてきた結果、十分に育っていないという特徴が真面目で損をしていると言う人には目立つ。

 

なお、学校の勉強のように自分一人である程度完結する&言われた事をやるだけ評価される場面であれば、この手の人は自分の真面目さに関する問題意識を自覚することはあまりない。

しかし集団で何か一つのことをしなければいけない場面になると、能力の低さから他人と交渉して意見をすりあわせることに強い苦手意識を覚えてしまい動けなくなる。

結果、ただ集団の中で影響力のある人のもとに引っ付いていくか、場合によっては集団そのものから自ら離脱してしまう。

ここでもまた、楽で安易な方法に逃げてしまっていると言えよう。

 

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真面目で損をする状況を抜け出そうとしても基本他人任せで受身なので状況は変わらない

安易な方法に逃げ続けているとはいえ、当の本人も流石に「このままでは社会不適合者として厳しい人生を送ることになる」と危機感を抱くことはある。

この危機感が「自分から他人に話しかけにいこう」とか「失敗することや責任を背負うことを怖がらないようにしよう」という原動力に繋がればいいのだが、個人的にはこうなるケースは稀である。

たいていは「誰かが自分を変えてくれるかもしれないし、そういう人がいそうな環境に身を置こう」という、選択をしてしまうと厳しい状況がそのまま残る、あるいは狡猾な人の養分になってしまうこともあるのだ。

まぁ、自己啓発や意識高い系界隈に触れたことがある人あら「人間は環境の影響を大きく受けるから、自分を変えたければ意識の高い環境に身を置くべきだ」という類の話は一度ぐらい聞いたことがあるだろう。

もちろん、環境により人は大きく左右されることは頷けるが、一方で「環境が自分を変えてくれる」という他力本願や他人本位な考え方が改善されないという問題もある。

つまり、真面目で損をしていると感じている人が改善すべき他人任せで安易で楽な方に流される思考の癖が残り続けるのだ。

 

 

「ありのままでいいよ」系の言葉に弱く、不幸な状況を脱せない

損をしていると感じた経験が募りすぎて心身ともに疲弊してしまうと、最終的には「ありのままでいいよ」と堕ちてしまった自分を慰めるかのような甘い言葉に強く影響されるようになる。

私一個人の意見としては、この手の言葉は確かに気持ちが楽になる言葉ではあるが、所詮は気休めにすぎず何の進歩も発展もなく、自分で自分を改善させる気力をますます減退させてしまう言葉だと考えている。

他人の幸不幸をどうこういうこと自体、非常に大人げないことだと思うが、不幸な状況を脱しない自分を肯定し続ける苦行を味わう未来が楽な生き方を選択した末路にある…こういう光景を見て「楽あれば苦あり」という諺ができたのだろうか想像してしまう。

 

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