自称「根は真面目」な人は疑って掛かるべきだと思う理由を語る

真面目
この記事は約4分で読めます。

これは私の持論だが、「根は真面目」と臆面もなく自分で言う人は、全然真面目ではなくむしろいい加減で自己中心的で、どこか周囲とのズレが大きい人が多いと感じる。

言い方は悪いが、真面目になりることもかなっていないし、下手に真面目であるといった結果クズな部分(=真面目系クズ)が出てくると、その部分の印象が強く残ってしまい、自分の評価を落としてしまう。実にもったいないことをしているような人に見えてならないのが、率直な感想である。

今回はこの自称「根は真面目」という人について、個人的な見解を述べさせていただこう。

 

自分で「根が真面目」と言う人を疑う理由

真面目であることを免罪符にする姿勢が不真面目である

根が真面目と自分で言う人の中には、普段から自己中心的な言動で他人を振り回す(もちろんアフターフォローもない)ような、ジャイアンみたいな人が目立った。

とはいえ、完全な悪役になりきれているわけではなく、本人なりに心を痛めていたりやりすぎてしまった」とい焦りを感じているようにも見えた。

もちろん、ここでちゃんと自分の非を認めて謝罪できれば正真正銘の根は真面目な人だと周囲から思われるに違いない。しかし、謝るべき場面で謝ろうとせず「自分は根は真面目なんだよね」と言ってごまかそうとすることが、自称根が真面目人間には見られる。

おそらく、プライドが強いせいで、自分の非を認めようものならプライドが崩れてしまう。とはいえ、しらばっくれるだけの度胸もない。その結果として、言い訳のように「根は真面目」ということでその場を切り抜けようとする…そういう姿勢が、人と関わる中で身についてしまったのではないかと分析している。

この姿のどこか真面目なのか。この姿のどこに真面目さを見出せばいいのか。やるべき謝罪や反省もできない、不誠実極まりない姿で根が真面目と主張すること自体、滑稽極まりなく、まさに真面目に聞くのもアホらしくなる。

こうした残念な感情になってしまうからこそ、私は「根が真面目」という人に対して、疑いの目を向けるのだ。

 

根は真面目と言えばなんでも済まされると勘違いして調子に乗る

「根は真面目なんだ」と自分で言うことによって、自分が今までしでかしてきた悪行の数々がチャラになるor罪が軽くなる…と、考えているかのように思ってこうどうしていることもまた、自称根が真面目人間に嫌悪感や苦手意識を抱く理由である。

思い切って調子に乗りたいけど、調子に乗った結果バッシングを受けて耐えるだけのタフさがない。でも、調子に乗りたい自分を制御することもできない。

そんな自分本位で衝動的な欲望をコントロールできない精神的に未成熟な部分を、自称根が真面目人間には感じることが多い。

 

ヘラヘラしながら「根が真面目」という時点で説得力に欠ける

ヘラヘラとした態度で「自分は根は真面目なんで~」という人は、その言動の時点ですでに自分はいい加減な人間であると主張していると言ってもいい。

ヘラヘラとした態度のどこに真面目さを感じられようか?誠実さを感じられようか?

本当に真面目な人からすれば見ても聞きいても呆れるような説得力のない言動をとっている時点で、自分自身を客観的に、見られていないと言ってるのと同じである。

 

承認欲求や自己顕示欲の強さが妙に強く話を盛る傾向がある

そもそも本当に真面目なら、ことさら自分で強調して言うことではないと思うが、それでもなお自分で言ってしまう所に、妙に強い承認欲求や自己顕示欲の強さを感じてしまう。

「とにかく自分に注目して欲しい。それも、好印象の目で自分を見て欲しい!」と願っているときに、言い方は悪いが人によってどうてでも解釈しやすい「真面目」という高評価を得やすい言葉を使って、自分は真面目人間だとアピールするのは、計画としては賢い選択だろう。

しかも控えめに「根が」までつけて、一見すると真面目っぽく見えないけど、深く見ていけば真面目な人間ですよというギャップ萌えを期待出来るように自分をアピールするところは、真面目ではなくをあざとくて、ずる賢くて、全然真面目であるようには見えない。

承認欲求の強い人からすれば、真面目というのは自分の性格や内面を表す言葉ではなく、自分という人間を引き立てるための装飾品の一部であたり、効率よく自分のフォロワーを増やすためのキャッチコピーであるように感じられた。

 

自称ではなく他称「根が真面目」な人の方がまだ信用できる

散々自称真面目な人について語ってきたが、一つ補足をしておけば、自称ではなく他称で根が真面目な人は、自称の人と違いし信用できる確率が上がる。それも、なるべく贔屓目で見ていない間柄(家族、恋人以外など)であれば、信用できる率は上がる

当然だが、他人から見た真面目という評価は、自分ではなく他人が決めるものである。とくに、仕事のように成果や結果が求められる世界において、他人から真面目と言われている人は、成果という目に見える形で一定の評価を収めているからこそ、他人が発する「根が真面目な人」という言葉の説得力が増すのだ。

…と、いうことを語って今回はお開きにさせて頂く。