「真面目系クズな人が嫌い」という気持ちの理由を語る

真面目
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私自身、過去に真面目系クズな人と関わることが度々あったが、正直に申し上げるとあまり良い印象を持った記憶がないし、どちらかといえば「苦手だなぁ」とか「見ていてイライラする」「あんまり言いたくないけど、嫌いなタイプだなぁ」と感じることが多かった。

もちろん、真面目系クズの人にはその人なりの生きづらさがあり、嫌いだからといってその人を傷つけることには抵抗がある。

しかし、関わる中で抱いた苦手意識や嫌悪感の原因は一体何だったのかについては、自分の中でも整理しておきたいし、自分がどのような部分に否定的な感情を感じるのかを知ることは、今後の人間関係や人生において有益であると思う。

そんな経緯で、今回は真面目系クズの人に感じる嫌悪感や苦手意識についてまとめたことを、語ろうかと思う。

 

真面目系クズな人に感じる嫌悪感、苦手意識

消極的な姿勢でしか努力できないことにモヤモヤしてしまう

  • 怒られないために頑張る
  • 文句を言われないために頑張る

というように、頑張る姿勢がどこか消極的であることが、真面目系クズの人には見られる。

努力に対してあれこれ要求すること自体、今のご時世何かのハラスメント認定されそうで、ちょっと行き過ぎているかもしれないが、少なくとも消極的な姿勢は真面目系クズの悪印象を強めていると感じている。

嫌々やらされている感や被害者意識を漂わしながら、努力しているように周囲に見せていることが、真面目系クズの人が周囲の人から嫌悪感を募らせてしまう一因ではないかと思う。

 

仕事や部活などで部下や新人の教育をした経験がある人ならわかると思うが、一生懸命に努力し学ぼうとしている人と比較すると、どうしても嫌々努力している姿を見せる人というのは、教える側のモチベーションに悪影響が出やすいものである。

せめて愛嬌があったり、真心がこもっている姿勢が見れれば、「不器用なりにも頑張っているんだなぁ」と優しい気持ちになれるが、真面目系クズの人の(一応の)努力はしているもののどこか真剣味がなく「怒られないために渋々やっている」感が拭えないものである。

当然そんな努力のせいで、思ったような成果が出ない(≒クズさが露呈してしまう)となれば、怒りを通り越して呆れてしまうのも無理はないといえよう。

 

楽して好印象を得たいという不誠実な姿勢に嫌悪感を覚えてしまう

真面目系クズの人は、本当はクズな側面があるものの、それを人まで出すことはしたがらない。むしろ自分をよく見せようとする傾向がある。

ただし、そのよく見せ方があまりよろしくない。

まず、クズとは真逆の「真面目」な姿を見せる。それも、いずれはボロが出るような中途半端で突っ込みどころの多い真面目であるため、正真正銘に真面目で誠実な人と比較すると、ズルをして自分をよく見せようとしている感が拭えない。

まるで、誰かに効率よく気に入られたいがために、媚を売っている。いい子ちゃんぶっている。優等生を演じている。言い方を悪くすれば、嘘をついて他人を騙しているように見えてしまうことが、(一応は見せかけの)真面目さが持つ誠実さと非常に相性が悪い。見るに人によっては、不快感の原因になるのだと考えられる。

もちろん、効率よく評価を得たいという気持ちには一定の理解は示せる。しかし、効率を追い求めるあまりに、相手に対して自分を優良誤認させるような接し方をする姿は、たちの悪い詐欺師のように見えてしまうことが、私にはよくあった。

 

真面目であることにどこか誇りを持てていない、卑屈さがある

根っこの部分がクズであるため、致し方ないとはおもうが、真面目系クズの人には、どこか真面目である事に負い目を感じている、堂々としていない。つまり、卑屈さを感じずにはいられなかった。

「私は自分の生き方や考え方に誇りを持っていますよ!」と胸張っているのなら、その姿勢に対してすがすがしさを覚えるものだ。しかし、真面目系クズの場合は

  • 「一応は真面目でいますよ、一応は」
  • 「仕方なく真面目な自分でいるのですよ」

という、遠慮気味な姿勢、どこか真面目になりきれていないもどかしい姿勢を感じる。

かと言ってクズな自分をしっかり受け入れることもできていないようで、中途半端な姿勢でいることが、見る人によっては「しゃんとしなさいよ」「もっとプライドを持とうよ」というお節介を焼きたくなる気持ちを刺激してしまうのではないかと分析している。

 

自己中心的、周囲が見えていない、独りよがりな部分が目立つ

いわゆる悪い意味で使われる「真面目」という言葉…つまり

  • ルールや上の意見に囚われて融通がきかない。
  • 自分の真面目さを押し通して、周囲が見えてない。独りよがりである。

という、人と関わる上で衝突を起こす部分が出てしまう事で、真面目系クズの人は嫌われてしまうのだと思う。

加えて、嫌われていることを察知すると「自分はこんなに真面目に頑張っているのに、どうして悪者扱いするのか?」と被害者ポジションに入って、自身の真面目さのせいで周囲と軋轢を起こしていることを自覚せず、関わる人を加害者扱いしてしまうことも、真面目系クズの「クズ」な部分であると考えられる。

一応でも真面目であるため「真面目な自分=正しい、自分に意見を言う人=間違い」という見方を持つことも見られる。しかし、これは自分の過ちを認めず、より意固地になってしまう原因にもなり得る。真面目を通り過ぎて、ただの頑固、意地っ張り、自己中心的な人と思われ、周囲から失望を誘うのも無理はないだろう。

 

真面目系クズと関わる方も辛いが、真面目系クズの人もツライという不幸

最後に、真面目系クズの人にも相応の生きづらさはあるとおもうが、真面目系クズな人と関わる方にも、相応の辛さがあると私は感じている。

一応でも真面目な姿勢を見せるために、端から無下に扱うことはできないし、むしろ応援したり力になりたいという感情が自然と出てくるものだ。

しかし、時間が経つにつれてクズな部分を察知するようになり、「この人を本当に応援しても良いものか」という疑念がわいたり、「真面目だけど少し厳しい事を言って自覚してもらおうか」という気持ちに駆られて、相手の真面目さを信じるか、信じないかという選択を迫られることがある。

真面目な彼を信じ続けて良好な関係を持ち続けるか。それと一度関係が悪化するのを承知で苦言を呈するか…という事を考えて悶々とするもどかしさが、私が真面目系クズの人と関わる中で感じた辛さである。

…という事を語って、今回はお開きにさせていただく。