あらゆる人間関係において「優しい」ことは基本的にいいことだし、良好な関係を構築するためには求められるスキルであることは、一般論としては間違いないだろう。
しかし、時に優しさを過剰に振りまくことは相手を不快にさせてしまったり、どこか媚びている印象を与えてしまい関係の構築がうまくできなくなる原因にもなると私は考えている
今回はそんな過剰な優しさのせいで失敗するケースについて、友達関係に絞って個人的な見解を述べていこうと思う。
友達なのに自ら対等の関係を崩してしまうので気持ちが落ち着かず疲れる
一般論で恐縮だが、友達というのは基本的にお互いの立場関係は対等である…という認識を持っているものである。親子関係や上司と部下、先輩と後輩のような、明確な立場の上下関係があるものではないと考えている人が大半だろう。
そして、この対等な関係こそが友達関係においての魅力である。変な気を使わなくていいし、気楽である、落ち着ける…という関係こそが友達関係特有のゆるさなのだ。
しかし、そのゆるさは過剰に友達の定義だとか、「私はあの人と友達になる意味あるのだろうか」と考えすぎてしまう人にとっては悩みの種になる。
そうして考えすぎてしまった結果、吹っ切れて孤独を貫くか、逆に今いる友達に過剰に優しく気を遣うように動いてしまうことがある。
この時、過剰に優しく動いてしまう人は、友達のような対等な関係なのに、まるで自分からベタベタと媚びるような態度を取ってしまう。
後述するように、媚びる行動は人によっては自分を軽く見られているとか、信用されていないという不快な感情を引き起こすものであり歓迎されるものではない。ましてや、それを気楽さ、ゆるさで繋がっている友達関係に持ち込もうものなら、関係が立ち行かなくなるのも無理はない。
上から目線だけでなく下から目線の関係もまた疲労がたまるものである
マウントを取られる、威圧的な態度を取られる…というような上から目線の言動を好む人は基本的には少ないだろう。誰だって意味もなく圧をかけられるような気楽さとは無縁の関係はストレスが貯まるので嫌がるものである。
しかし、「意味もなく圧をかけられる」という点においては、過剰に媚びるような動きをされたり意味もなく気を使われるような、下から目線の態度も動揺である。
気を遣われると逆にこちらも気を遣わないと、なんとなく収支が合わないというか、「なんか、もらってばかりでは申し訳ないから…」となって、つい何かお返しをしたくなる気持ちに駆られることがあるように、下から目線の行動は当人が善意のつもりでやっていても、相手に対して圧をかけることがある。
そういう視点で見れば過剰に優しい人は、露骨に威圧的でマウント取りな態度とは形こそ違うが、気楽さとは無縁の関係なのである。
また、人によっては過剰に優しくされることは、
- まるで自分を軽く見られているように感じる。
- 信用されていないから、腫れ物に触るような態度(=過剰な優しさを振りまいている)になっていると思われる。
- 精神的に未熟な人間である(だからまるであやされるような態度をとられていると思う)
と思わることもある。
優しさとは、えてして相手を思ってだとか、不快にさせないためだとか…そういう心遣いからくるものだと思うが、その心遣いもまた友達関係のような気楽さが持ち味の関係においては毒になることがあるのだ。
優しいというよりは緊張している、ビクビクした雰囲気を漂わせているので疲れる
誤解を恐れずにいうと、友達関係なのに過剰な優しさを振りまく人は、見た目(とくに姿勢)からして過剰な緊張感や、どこかビクビクオドオドしていることから不穏な雰囲気をまとっていることが多い。
そして、そういう雰囲気は気楽さが持ち味の友達関係においては、相手を疲れさせる要因になる。
ただ、友達関係において「緊張しているのが体にでているよ」みたいなことを言う人はまずいないし、なんとなく不穏な雰囲気こそ感じるものの、それをうまく言語化できる人は実に稀である。
なので、「この人といるとなんとなく疲れるなぁ」と感じるだけで、次第に距離を置かれる。当然友達という間柄にはなれないし、長続きもしないという現象が起きるのだと推察している。
最後に
これは私の(偏見も混じっている)持論になるが、優しすぎる人の多くは友達関係に多くを求めすぎていると思う。そして、求めるにしても一人の人に多くを求めすぎている傾向があるように思う。
優しすぎる人は、どことなくだが薄く、広く、浅くの関係は邪道で、厚く、狭く、深くの関係こそ王道みたいな理想像を持っているが、この関係は下手すれば気楽さとは無縁な「重い」関係になる。
なので、気楽さを求めたければ自分の信念を折り曲げるようで嫌だろうけど、薄く広くの関係を取り入れて見ることもまた大事な事だと思う。
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