大人しいけど面白い人になるためのコツについて

人間関係・コミュニケーション
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「一見すると大人しそうに見えるが、実際に話してみると面白い人だった」という人になりたい人は、私一個人の意見として結構多いように思える。とくに、いわゆる陰キャを自覚している人には多いと思う。

今回はそんな脱陰キャを目指す人に向けて、どうやったら大人しいまま面白い人になれるかについて個人的な見解を述べていこうと思う。

 

面白い人と見られるための下準備の重要性

まず大前提として面白い人と見られたければ、話術を磨くとか幅広い話題に対応できる知識を身につけるより前に、関わる人に対して好感度を下げるようなことをしていないかについて、自分自身を振り返ることが重要である。

シンプルな話だが、好感度が低ければ面白い人と思われるよりも前に「なんかあの人は嫌い、苦手」と思われて関心すら持ってもらえない。

そうならないためにも、見た目がや態度が陰湿になっていないか、人間関係に対してあまりにも非協力的ではないか、不潔な身だしなみをしていないか、(社会人なら)ちゃんと普段の仕事をこなしているか…など、自分が普通に信用に足る人間であると印象付けること重要である。

ただ、ここで無理に媚びればいいとか、相手の言うことをなんでも聞くような人間になるのは行き過ぎであると補足しておく。下手に相手にいい顔をすることもまた自分の好感度を下げる要因になる。

あくまでも好感度を下げるようなことはせず、周囲とうまく協力し馴染めるように日頃の行いに気をつけることを意識すればいい。

 

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誰かの受け売りばかりではない自分なりの考えや意見を持っておくと面白い人と見られやすい

さて、いざ会話をする場面になった場面で、どういう話題をすればいいのかよりも大事なのは、誰かの受け売りばかりにならず、簡単なものでいいので自分なりの意見や考えを話すことが重要になる。

下準備の時点で自分に対する好感度があり興味を抱いている相手に対して、どこかの誰かが話していた話ばかりになるのは、薄っぺらい印象が強まると同時に自分の内面を隠しているような印象を与えてしまう。

そうならないためにも、自分に関する話題、自分の内面や趣味・嗜好など、自分がどういう人間であるかについてアピールすることが、面白い人と見られるためには欠かせない。

ただし、この時に嘘をついたり誇張するなど自分を偽るような真似はNGである。あくまでも自分の素を出すように話すことを意識すべきだ。

 

 

会話するときの表情や態度も面白い人になるのに重要

会話の内容以外にも、会話する時の表情や態度もまた面白い人と見られるためには重要になる。

たとえば

  • 過度に緊張した状態で話していないか。
  • 声のボリュームや話すスピードが相手にとってちょうど聞き取りやすいものか。
  • ちゃんと表情筋を使って話しているか(=無表情で話すような真似はしていなか)

など、話相手に対して「この人なんか変だなぁ」と思われないためにも、自分の話し方について気をつけるのが重要である。

ただし、これに関しては「自分がしゃべっているときの表情や態度ってどう確認すればいいの?」と疑問を持つ方も多いと思う。

その対策として一つあるのが自分の親や上司、学生なら先生など、比較的指摘をしやすい立場の人に対してご教授を願うことである。

まぁ「話し方に不自然なところがないか指摘して欲しい」とお願いするのは恥ずかしいかもしれないが、そうした些細な恥を気にする性格をどうにかしない限りは、大人しいけど面白い人にはなれないと私は強く思う。

 

 

 

大人しいだけの自分を捨てる覚悟がないと面白い人とみなされない

大人しいけど面白い人と見られたい人にあるのが、何か他人に話しかけることや、他人を巻き込むことそのものを、相手に迷惑をかけている、場合によっては攻撃的・威圧的な態度を取ってしまっていると考えてしまう癖である。

その癖をこじらせ続けると、面白い人と見られたいけど迷惑だと思われて傷つくのが嫌なので、何もしないまま受身の状態にとどまってしまう。

場合によってはいわゆる陽キャラのように世渡り上手で明るい人をなかば恨み呪うかのような考え方が生まれてしまい、大人しいけど不気味で怖くて近寄りがたい危険人物とみなされてしまう可能性が高まることがある。

 

そうならないためにも、他人から見て大人しいけど面白い人と見られたければ、一種の攻撃的な行動のように思えてしまうその思考の癖をとっぱらう…つまり、大人しいだけの自分を捨てるという覚悟が重要なのだ。

と書くと、「結局根性論か…」みたいな反応が来そうだが、人間は理性だけでなく感情を持っている生き物である以上、根性のような感情の要素が強い部分の効果を軽く見てはいけないと強く思う。