なんでも「わかるー」と共感する人が敬遠される理由を説明する

人間関係・コミュニケーション
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男女関係なく、普段の会話の中で「わかるー」というように、共感や同意を示す言葉を発することは「共感」や「シェア」という言葉が浸透してきた今のご時世では珍しくないだろう。

何もひねくれず考えれば、普通は「わかるー」と共感をしてくれればその相手に対して好意や親近感といった感情を抱く。つまり、ポジティブな気分になるものだろう。

しかし、何度もしきりに「わかるー」という人は親近感というよりもむしろ「なんかこの人わかってないよなぁ‥」とか「この人適当に言ってるだけじゃないの?」という嫌な気持ちを抱くことは、きっと珍しくないと思う。

今回はこのことについて個人的な見解を述べていこうと思う。

 

「わかるー」と言い出してスキあらば自分語りしようとする我の強さが引かれる

何度も「わかるー」という人に顕著なのは、「わかるー」と言ったあとに話題をかっさらってしまう事。つまり、隙あらば話題に入り込み自分語りにつなげてしまう…という我の強さ、自己中心的な思考の強さである。

一般的には「わかるー」という言葉は聞き手が発する言葉である。もちろん普段の会話の中で聞き手としてずっと聞き手のまま居続けることは稀であるし、話題の変化に応じて適度に聞き手が話し手に(そして話し手が聞き手に…)と入れ替わるものである。

しかし「わかるー」を頻繁に言う人は、この入れ替わりの頻度がやけに速い。しかも、自分が聞き手のポジションになることを、どことなく嫌っているような素振りを見せることがある。

スキあらばその場の話題の主導権を握ろうと行動を取ろうとする。その一つの行動として「わかるー」という言葉を頻繁に繰り返しているのだ。

 

 

そう簡単に「わかるー」とはならない話にもすぐ「わかる-」と言い出す浅はかな部分がある

「わかるー」を連発する人の中には、話題の内容的にそう簡単に共感するべきでない話題であっても、ためらうことなく共感を示す。

例えば、苦労話や失恋や離婚、大病、社会的な失敗(失業・受験の失敗など)のように、少し落ち付いた雰囲気で話すことがふさわしい話題であっても、ためらいなくラフな同意や共感を示す態度をとる。

このような行動は(死語だとは思うが)いわゆる「KY(空気が読めない)」である。

割と重い話をしているのに、その重さに応じた振る舞いであったり間の使い方をするのが自然な対応なのに、その自然な対応をせず例えばヘラヘラとした態度で接するとか、蛋白な口調で「わかりますよー」と返事する。

このように状況に応じた態度や言葉の使い分けができていないことが、相手への不信感や違和感となるのだ。

もちろん、変に暗いムードにならないよう励ましているという可能性もあるが、こと共感を頻発する人は、話題の明るい暗い関係なく空気が読めずどこか浮いている部分が見られるものである。

 

 

「わかるー」と言いつつ人の気持ちに寄り添っていない。自意識過剰で勘違いが激しいことが周囲に見透かされている

上からの続きになるが、とくに重い話題に対して共感を示す人の中には、どうも相手に寄り添っている…という気配が無い、というか演技っぽい、嘘くさい部分がある。

言い方は悪くなるが、他人の気持ちに寄り添える自分に酔っている。「自分は些細なことからも他人の気持ちがわかる繊細で優しい人」と勘違いしているだけの自意識過剰な一面がうっすらと感じ取れしまう。

そのため、どうも共感的な態度が押し付けがましくて親近感とか好意を持てるような気分になれない。むしろ、重い話題を勝手に理解して「あなたの気持ちわかるよ~こう思ってるんでしょ?ね?ね?」と迫ってくるような厚かましさを感じて、イラっとしてしまいやすい。

人によっては「二度と重い話とか、人には言いにくい大事な話をしてたまるか!」と心に決めてしまうこともあることだろう。

 

 

「私も同じ経験したからわかるー」という共感の罠

最後にひねくれた意見を言って終わりにしようと思う。

共感的な態度の中でも「私も同じ経験したからわかるー」という類の、同じ経歴を歩んできたことをアピールする人は、私個人的にちょっと迂闊に信用してはならない。むしろ、割と警戒すべき相手だと思っている。

そもそも、この手の人は怪しいと感じても「本当に同じ経験したことのあるの?」とはツッコミを入れにくいものである。とくに内容が重くて且つ人には言いにくく暗いものであればあるほど「本当に?」と疑問をぶつけたり、相手を試すような態度を取ること自体、ためらいを覚えるものである。要するに良心の呵責を覚えるからこそ、相手を試したくてもできない…という宙ぶらりん状態にとどまるものだ。

 

このことは言い換えれば、共感的な態度をとることで相手に近づき、相手が持っている人脈や技術、場合によっては資産のように、何らかの利益を手にするために誰かに近づきたいと思っている姑息な人からすれば非常に好都合である。

つまり、他人を騙したり泣かすことを目的として(小)金を稼ぐ人たちが使いやすい人にとっては良いコミュニケーションの技術であるからこそ、警戒すべきなのだ。

 

ニュースを見ればやれ格差だとか、分断のように何かとパッとしない社会不安の多い昨今だからこそ、他人に対して言いづらい過去や生きづらさを持つ人ほど、自分に対して「同じ経験をしたからわかりますよー」と寄ってくる人には慎重になるべきである…と、個人的に考えている。

あなたを理解しているふりをして地獄に突き落とす。そのために、あえて優しいふりをしている人たちがいる…ということを頭の片隅にでも入れておくといいだろう。

(まぁ、こんな嫌な知恵が使わなくても済むような世の中になって欲しいものではあるが…)