苦労人は優しいとは限らない理由について説明する

人間関係・コミュニケーション
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一般的な話で恐縮だが、よく今までの人生の中で苦労をしてきた人はその苦労した経験ゆえに他人に対して優しい…という類の話は、一度ぐらい見聞きしたことはあるだろう。

もちろんフィクションか否かは関係なくこの手の話はもっともらしく聞こえるものだし、実際に事実はどうあれ信じておいたほうが精神衛生上好ましい話だと思う。

しかし、私は別に苦労人だからと言ってその人がとりわけ優しいとか慈悲深いとかという話は、必ずしも成立するとは限らないと考えている。

むしろ、苦労する過程で見なければ幸せだったものを見てしまったがために、意味もなく優しさを振りまく事を控えるようになっても不思議ではないと考えている。

今回はそんな苦労人にまつわる一般論について、個人的な見解を述べていく。

 

 

いわゆる底辺の人間の実態をよく知ってしまったので優しくしない

私が苦労人だからと言って必ずしも優しいとは限らないと思うは、いわゆる社会の底辺と呼ばれる層の人と関わった経験が影響していると思う。

私自身も過去の生活の中でいわゆる育ちが悪いせいで社会的地位が低い人たちや、普段の素行が悪く小さな問題を度々起こしている人たち、(こういう言い方は失礼だとは思うが)年相応の振る舞いやメンタルが備わっていない事で社会に馴染めない人たちと関わらなければいけない時期が数年ほどあった。

自分で言うのも変な話だがその時の私は苦労人そのものであり、いわゆる社会の底辺がなんたるかを身にしみて感じた時期でもあった。

そんな経験があるからこそ、他人に意味もなく優しくすることに対しては控えるようになったのだと思う。

底辺の人たちは優しさを受け取る感受性が鈍い、あるいは無い。仮に他人からの優しさに気づけたとしても「もっと優しくしてくれ」と感謝するどころか付け上がってくる。優しくされるのが当たり前だと感じて、いざ優しさが来ないとなれば不機嫌になる。

こういう苦労をした結果、優しくすることそのものに対して妙にためらうというか、懐疑的な姿勢が生まれてしまったのだと自己分析している。

 

 

優しくするだけの価値も見返りもないからこそ優しくしないという当たり前の事実

損得勘定丸出しな意見で恐縮だが、私にとって優しさと見返りは切っても切れないものだと感じている。

そのため、「この人であれば優しくしても、経済的・精神的・社会的な利益がマイナスになることはないだろう」と感じた相手に対しては、自然と優しくなろうと気持ちになれる。(もちろん、思うだけで実際に優しくするかどうかは別だし、なんの脈絡もなく優しさは見せることはしない)

一方で「この人に優しくしても、自分に取って利益やメリットがない。むしろ変に付け上がってきて過剰な要求をするような匂いすら感じる」と感じた相手に対しては、優しさを振りまくような真似はしない。

こうして見るとなかなかにシビアだとは思うが、優しさといういうのは投資に似ていると私は感じている。

投資をする以上、自分にとってのリターンを追求するのはもちろんの事、自分が投資した相手や集団にも何らかの恩恵なり成長があって欲しいものである。要するに、winwinの関係になるのが理想である。

 

…あまり人間の感情的な営みに投資のような概念を持ち出すのは野暮だと思うが、こと苦労をしてきた身であるからこそ、自分が優しさという名の一種の通貨に等しいものを使う時に妙にシビアな目で見てしまう。

これこそが、苦労人だからと言って優しいとは限らないという考えに通ずるものだと思う。

 

 

苦労人だから誰かの優しさを期待するよりも自助努力する方が合理的だと考えてしまう

最後に(私の経験の話で恐縮だが)いわゆる社会の底辺にいる人たちは、不運に巻き込まれて底辺になった人もいるにはいるが、その多くは落ちるべくして底辺へと落ちてきた人である。

日々の生活態度がだらしない、勉強や仕事などすべきことか逃げ回ってきた、人との約束を守らない、怒られて不機嫌にはなるが決して反省も改善もしない、純粋に無気力な日々を過ごしている…という負の習慣をコツコツと積み上げてきた結果、底なしの底辺に落ちてきたという人が多かった。

またそういう生き方をしている人の中には、この底辺で、負け組で、人生詰みかかっている状況を打破してくれるような状況がどこからともなくやってくる…という類の一発逆転妄想をしている人も多かった。

そういう妄想をしている人を横目に見ていると「他人に優しさを施されて底辺脱出を期待するより、自分で努力して脱出したほうがまだ合理的だ」と私は思うようになった。

今のご時世「自助努力」を主張するとネット上では炎上しそうだが、いつ来るかわからない幸運を期待するよりは、自分の力で自分の生活を成り立たせようと努力する方が、まだ合理的で可能性があると考えている。

 

最後に、苦労人がとくに厳しい態度を見せるのは今まさに苦労の最中にいる人だと思う。

不遇な環境を見て「かわいそう」と思うことはあると思うが、その「かわいそう」な環境に至るまでの道のりを生々しく想像できるからこそ「自業自得な部分も結構あるから自分の努力でどうにかしましょうね」とシビアに見てしまうのだと思う。