必要以上に人に優しくしないようになった理由を解説する

人間関係・コミュニケーション
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個人的な世渡りテクで恐縮だが、私は公私関係なく他人と関わる際に必要以上に優しくしない、優しさを振りまかない、寄り添いなどの姿勢を見せないようにしている。

もちろん、これは意味もなく喧嘩売るようなマネをしている…というような行動を取っているのではなく、あくまでも意味もなく優しさを見せることにも制限を設けている…ということだと解釈して頂ければ幸いである。

今回は、この優しさに制限付けるようになった理由は経緯について個人的な見解を述べていく。

 

自分の優しさのせいで人をダメにしてしまう懸念

過去に書いた記事でも触れたが、かつて私は家族や親戚から優しいと言われるような子供であり、その部分は社会人になるまではある程度残っていた。

私の中には、優しさは人間関係を良いものにするのに役立つ必須テクニックであり絶対的なもの。優しければ集団内で諍い事を起こすような事はまずない。(頭の緩い表現になるが)優しくさえしてれば人間関係はオールオッケー&オールハッピー…のような考えを持っていたのだろう。

そんな世渡りのおかげか、互いに激しく憎み合うような仁義なき抗争のような出来事は起きなかったが、逆に優しくしてしまった人がいつしか怠惰な人間になってしまったり、わがままな部分がますます目立つようなモンスターになってしまうことが何度かあった。

(かつてネット上で流行った某ソファーではないが)私の優しさは少々行き過ぎた部分があるらしくし、まさに人をダメにする優しさだったのだ。

 

ちなみにだが、具体的にどういうことをやっていたのかというと、

  • 相手の主義主張を否定せず受け止める
  • 自己犠牲を厭わない
  • 相手に対して怒らない、強いことを言わない
  • 不満があっても「まぁお互い様だよね」と受け止める

というようなものである。

もちろん、この手の世渡りテクは、相手が比較的まともな考えの持ち主であればそこまで問題になるものではない。

しかし、後述するように

  • わけあって優しさや愛情に飢えている人
  • 他人の善意にあぐらをかくことにあまり抵抗が無い人
  • 自立心がなく他人に助けてもらって生活していくことに対して貪欲な人。つまり、他人への依存心が過度に強い人。

のような性格・特徴が見られる人には逆効果になってしまう傾向があるのだ。

 

過剰な優しさには、めんどくさい人を吸い寄せてしまう側面がある

私が思うに、人は自分に対して過剰な優しさを向けてくる人、意味もなく優しく寄り添うような人に対して、一種の不信感を覚えることがある。

出処のわからない大金に対して一種の怖さを覚えるのと同様に、優しさ・善意・親切心のような一般的に社会の中で良いとされており、人間関係において重宝するものもまた、過剰になれば誰かを不安にさせてしまうことがある。

だからこそ、人は過剰に丁寧な人や優しい人に対して「この人のおもてなしには裏がある」と下衆の勘ぐりを働かせる。そして、裏表の無い人に対して「この人は良くも悪くも素直な人だから、なんか惹かれる」となるのだろう。

ただし上でも触れたように、これは比較的まともな考えの持ち主の場合においてである。

優しさに飢えている人や他人への依存心が強い人の場合は、過剰な優しさを向けられても不安にならず、むしろ安心感や満足感を覚えてしまう傾向があるのだ。

またこの手の優しさを受け取り続けても、ますます誰かから優しさを求める傾向もある。食欲のように「お腹いっぱいなので、もうご飯はいらないです」とはならず、貪欲に他人から善意や優しさ、場合によっては愛情のようなものまでも渇望し続ける。(「いいね」を求めてとにかくSNSを更新する人のようである)

食欲で言うところの満腹中枢に当たるもの…つまり、自分に向けられた優しさを、ちょうどよいところで「もう十分満足です」と感じる部分が上手く働かない状態になっている。

その結果、際限なく求めては受け取り、自堕落でわがままな人間になってしまう…というひとつの結論を、経験から導き出した結果、私は優しさを過剰に振りまくのを控えるようになった。

ただし、過度にドライな人間になったのではなく、自分が関わる相手が優しさを適切に受け取れる人物であるか否かをじっくり見極めるべく、少し慎重になったと表現したほうがふさわしいかもしれない。

 

過剰な優しさを受け取り続けることを求めている人が増えているという仮説

最後に、昨新型ウイルス然り、格差問題然り、ネット上で将来不安を煽るインフルエンサー然りと、なにかと先行きが暗くなりがちな今のご時世、将来に絶望して心が弱まったしまったために、過剰に優しくされることを渇望している人が増えているのではないかと考えている。

そういうご時世のためか、優しい人に対する価値や需要は高まっていると言える。逆に厳しい態度を見せる人は、あらゆるハラスメントで片付けられたり、ネットで叩かれる傾向がある。

 

しかし、ここであえて飛び抜けて優しい人になっても、結局は優しい人をただ自分の満足のため、現実逃避のために消費される可能性が高いと思う。また、過剰な優しさを求めるような人の不安定な精神状態に引っ張られるリスクも軽視できない。

もちろん、優しさを根本から否定しているわけではない。ただ、優しくしすぎたことで、相手が増長して付け上がったり、善意にあぐらをかいて入り浸ったりしてしまい、自分も相手も損をする事態が起きても不思議ではないと感じる。