ナチュラルに失礼な人、無神経な人の特徴を語る

人間関係・コミュニケーション
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おそらく本人に悪意や悪気がないのは理解できるが、どうもナチュラルに失礼な態度や口ぶりをする人。知らず知らずのうちに他人を煽ったり、小馬鹿にするような無神経な態度を取る人と言うのは、えてして嫌われやすい人だと思う。

そして、ナチュラルであるがゆえに注意しても聞いてもらえる可能性は低いどころか、むしろ「気にしすじゃないの?」と言い返されて、むしろ逆に注意される…なんてことも起きやすい人であろう。

今回は、そんなナチュラルに失礼な人、無神経な人の特徴を語ろうと思う。自分がナチュラルに失礼な人になっていないか。あるいは、自分の身の回りにこのような人が居ないかを判断するときに役立てていただければ幸いだ。

 

ナチュラルに失礼な人、無神経な人の特徴

基本的に上から目線で「○○してあげる」が口癖

ナチュラルに失礼な人には「○○してあげる」という口癖がついている人が多い。

しかも、目上の人やご年配の方ではなく、目下or同年代であるのに、ナチュラルに上から目線な言葉遣いをしてくるので「この人は自分の立場や状況をちゃんと分かっていないのでは?」というモヤモヤ感を抱くのだ。

また「○○してあげる」という口癖は、手伝われる人の能力を過小評価している。つまり、手伝われる人や手伝われても仕方がないほどに仕事ができないだとか、どんくさいだとか、可哀想な人である…と、実際以上に低い評価を下している。

だからこそ、「○○するよ」ではなくで「○○してあげる」という言葉遣いになってしまうのだと考えられる。

もちろん、実際よりも低く評価することはナチュラルに失礼であるが、当の本人は失礼なことをしているという自覚は無く、むしろ自分は人助けをしている善良な人であるという認識で、ナチュラルに失礼なことをしているので厄介さが際立つのだ。

 

求めてもいないのに的外れなアドバイスをしたがる

人助けをすることに通ずるが、ナチュラルに失礼な人は求めてもいないのに勝手にアドバイスをしてくる傾向がある。それもアドバイスをされる側の状況を無視した、的外れなアドバイスをすることが多いので厄介者扱いされやすいのだ。

後述するが、ナチュラルに失礼な人は自分基準で物事を考えるくせがある(=他人への配慮・想像力が足りない)ので、アドバイスをする人が求めていそうな言葉をかけるよりも、自分の視点で「自分ならこうするよ!」というスタンスのアドバイスをとる傾向がある。

ただし、何度も言うようにそのアドバイスはえてして的外れなものになる。場合によっては、アドバイスを受ける側の努力や意思を真正面から否定した上に、対して役に立たないアドバイスを「私はいいことやってるでしょ?…ね?」と意気揚々な態度でしてくるため、めんどくさがられるのだ。

 

「俺たち男(or女)はみんな頭がガキだ」など、失礼な決めつけで語りたがる

ナチュラルに失礼な人は、自虐ネタとして使う言葉にもその失礼さが現れている。

例えば男である自分を自虐するときに「俺たち男は大人になっても所詮頭はガキなんだよ」という具合に、ガキではない男性全員に喧嘩を売るような物言いで自虐することがある。

ちゃんとガキを卒業して立派な大人をやっている男性からすれば「ガキなのは貴方だけです」とか「同じ男性として貴方と一緒にされるのは甚だ不愉快です」という言葉が返ってきそうなぐらいに、主語の大きい失礼な決めつけで自虐して、無意識のうちに他人の神経を逆撫でしているのが特徴的だ。

なお、この記事では大きい主語の例として「男性」を挙げたが、そのほかにも…

  • 私たち女性は…
  • 私と同じく不細工orブサメンは…
  • 私と同じような陰キャラor陽キャラは…

などのようにステレレタイプをもとにして自虐をすることが多い。

ただの自虐なのに、自分以外の人も巻き込んで貶すところはまさに無配慮・無神経の極みであるといえよう。

 

他人への想像力が無く、いつも自分視点で語る

ナチュラルに失礼・無神経な態度をとってしまう人に共通しているのは、他人への想像力が乏しく、いつも自分視点・自分基準で語ってしまうところだ。

すぐ上で述べた自虐の例にも当てはまるが、自分自身がガキであるため「男性=所詮みんなガキ」という自分を基準にした極端な結論に至ってしまう。

結論を出す過程で、ガキではない男性の存在を考えるとか、実は自分の方が世間から見た基準から、純粋に逸脱しているだけではないか…と、あらゆる可能性を巡らせず、今の自分の視点・基準で物事をいきなり結論を出す。

当然その人の基準で導き出された雑で洗練されていない結論なので、そんな結論を元に「男は所詮ガキなんだ」と言われてムッとする人が出てくるのは無理はあるまい。

 

相手のことをよく理解しないうちに、わかったかのような態度で接する

ナチュラルに失礼な人は、一見すると優しく親しみやすい人のように見えて他人と接するが、実情はその人の表層だけを見てわかった気になって接することがある。

つまり、深い仲でもないのにあたかもその人のことをなんでも知ったかのような態度をとってしまうため、他人に不快感を与えてしまうのだ。

これもまた、他人に対する想像力や配慮が足りていないからこそ、起きてしまう状況ではあるが、なにせナチュラルに他人を知ったかのような態度を取るため、注意がしづらいのが特徴的である。

 

ナチュラルに失礼なだけに指摘しても自覚できないのが厄介である

冒頭でも触れたが、故意ではなくナチュラルに失礼であるために「貴方はナチュラルに失礼ですよ」と注意しても、自分のどの言動が失礼であるのかについて自覚できない。

つまり注意されても自分で反省点を見つけられないために、非常に付き合いづらく厄介な人間である。

また、自分の言動に対して注意を受けたという事実を「自分の人格や性格を否定された」と拡大解釈して怒ったり、ここでも自分基準で考えて「気にしすぎだよ」とナチュラルに答えてしまった結果、なんの改善も見られないことがある。

ナチュラルと言えば素直だとか嘘を付けないだとかでポジティブな印象はあるが、反省・改善が非常に難しいという点は、ナチュラルな人のネガティブな側面であろう。