共感力の高い人が人間関係で失敗する理由を説明する

人間関係・コミュニケーション
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(HSP(繊細さん)が流行る前から存在はしているが)ここ最近何かと「共感」という、いかにも優しさをまとったふわふわとした言葉を見聞きする機会が増えたと思う。

その影響か、人と共感できる人の方が人とのしての魅力や能力があるという風潮であったり、共感力を高めることこそが人間関係を良好にするための王道である…という考えを持つ人も、ここ最近多くなったように思う。

しかし私が思うに、共感力を高めることは人間関係を良好にするための万能策とはならない。むしろ、共感したい人や物事だけに共感する癖がついて人付き合いの幅が狭まったり、自分で自分を共感力の高い優しい人だと思い込んだ独りよがりな偽善者となってしまうことも、起こっても不思議ではないと思う。

今回はそんな共感力を高めることの負の側面について、個人的な見解を述べていこうと思う。

 

共感力の高い人は共感したい人・物事にのみ強く共感するようになる

冒頭でも述べたように、HSP(繊細さん)なる(一応は)心理学上の概念は、繊細であるがゆえに共感力が高く良心的という特徴を持っているとされている。

しかし、そんなHSPを自覚する人が発信する情報を追っていると、どうも共感を寄せる人に対してある種の偏りがある。というか、HSPに対して肯定的な意見にのみ強く共感する姿勢を見せるばかりで、HSPに対して否定的あるいは懐疑的な意見であったり、一歩引いた目線で見ている意見に対して拒絶に似た反応をしめす。

あるいは「価値観が違うのだから無理に付き合わなくてもいい」と昨今流行りの「嫌なことから逃げてもいい論」を盾にして向き合うことを避ける傾向があった。

 

もちろん、この一例だけで断定するのは賢明ではないが、HSPに限らず自分は共感力が高いとか、仲間の絆や友情などを大事にする人達。つまり、思いやりや優しさの強さを持っている人は、自分が優しくしたい、近づきたい、理解して気持ちを共有したいと思う対象にのみ強く好意的な反応をする。こういう「えこ贔屓」に似た経験は、普段の生活の中で一度は見てきたことがあるかと思う。

贔屓にしているアイドルグループやアニメキャラ、スポーツチームであったり、ある属性を持つ人々(例:オタク、ぼっち、陰or陽キャラ)など、何かしら自分と接点や共通点のあるもの、自分にとってプラスの作用をもたらすものにのみ共感を示す。

共感したいもの、しやすいもの、すると精神的にプラスになるものにのみ共感をしている。つまり、共感そのものには偏りがあるというのが私の持論である。

「自分は共感力が高いのになぜ人間関係で苦労しているのだろう」と感じている人は、別に自分がどんな人間にでも共感できるような善良で優しい人でもなんでもなく、ただ自分が共感したい人にのみ共感しているだけのそこまで善良でも優しくもない人でしかない。

むしろ、いたって普通の人であると自覚することが、最初は精神的な苦痛は伴うかもしれないが有効な手段になるだろう。

 

「共感力が高くて他人の気持ちが手に取るようにわかる」と感じる人の勘違い

一般的に

  • 共感力が高い=他人の気持ちをわかる能力が高い人。(ゆえに、人間関係は成功しやすいイメージがある)
  • 共感力が低い=他人の気持ちをわかる能力が低い人。(ゆえに、人間関係は失敗しやすいイメージがある)

と考えるものだろう。

しかし、私はどうも共感力が高いと自負している人の中には、盛大な勘違いをしているために人間関係がうまくいってないケースがあると思う。

 

嫌な表現になるが共感力の高い人は共感では思い込み激しく、相手が発した些細な言葉や言動から「あっ、この人今○○な気持ちに違いない!だって私は共感力が高くて他人の気持ちが手に取るようにわかるから!」という具合に、相手の気持ちを確かめることもせず決めつけてしまっている。

つまり、共感力が高いのでもなんでもなく「思い込みと決めつけの激しさ=共感力が高い」と勘違いしている人なのだ。

とはいえ、勘違いしていても一応コミュニケーションらしいことはできるものだが、その実態はなんとなく話が噛み合わないというか、相手と気持ちの交流をしているというよりは、

  • 共感力の高い人:「ね、今あなたこう思っているでしょ、だから○○してあげるね!」
  • 相手:「あ、はい…(実際○○はいらないし、思っていることも合ってないんだよなぁ…けど、それ言うとめんどくさくなるから「はい」って言っておこう)」

という具合のたどたどしいおままごとみたいな関係になる傾向がある。

 

なお、ここまで言語化するのは容易では無いし、仮に言語化できたとしてもそれを口にして指摘しようものなら衝突するのは想像に難くない。

結果、共感力は高いと自負している微妙に人間関係になじめないタイプの人は、自分が盛大に勘違いしているという事実に気付かないまま、必要な指摘をしてくれる人も出てこず放置され続けてしまう…という状態ができてしまうのだ。

 

 

「自分の気持ち=相手の気持ち」と感じる関係が招くこと

最後に私の持論になるが、自分と相手の気持ちが「=(イコール)」になる。つまり「自分の気持ち=相手の気持ち」となることを共感だと考えることは、図式だけを見れば仲が良さそうに見えるが、実態は相手が自分とは同じ気持ちを持つことを認めず、また尊重もしない…という排他的でおよそ優しいとは言えない関係に発展する危険性があると思う。

上でも述べたように共感力が高いという特徴を持った人が、自分とは異なる意見を見たときに拒絶や排他の態度を見せる理由も、このあたりにあると推察している。

自分が共感したい人や物事にのみ強く共感して安心感を得れば得るほど、自分と相容れない意見や物事に共感する人に対して、うまく表現できない恐怖や違和感を感じる。

そのほかにも、自分が強く共感し「自分の気持ち=相手の気持ち」だと感じて心が通じていたはずの人が、なにかの拍子に自分とは相容れない別の人に共感した光景を見たときに、激しい怒り、嫉妬、憎悪といった感情を抱いてしまう。

こういう現象こそ、共感力の高さが持つ負の側面ではないかと思う。