努力しないのにプライドが高い人の特徴をまとめてみた

人間関係・コミュニケーション
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公私関係なく、努力できないのに妙に自分は偉いんだとか、立派な地位にいるとアピールしたがる人は、私がかつて意識高い系だった時によく会ってきたし、かく言う私もこの手の人間だったという黒歴史がある。

そんな経験も踏まえて、努力しないのにプライドだけは一人前に高い人の特徴などについて、個人的な見解をまとめてみた。

 

努力しないのにプライドが高い人の特徴

身内の馴れ合いに染まって外部から評価を受ける場所に行きたがらない

努力しないのにプライドだけが肥大化してしまう人は、内心は自己評価と自分の実力の釣り合わなさを自覚していることが多く、そのことを他者から指摘されるのを強く嫌がる傾向がある。

もちろん、誰だって図星を突かれるのは嫌だし、できれば身内で固まって馴れ合いのような優しい世界に浸っていたいものだが、努力しないのにプライドが高い人はとくに身内での馴れ合いを強く求める傾向がある。

プライドの高さと反比例して、精神的に非常に打たれ弱く精神的に自立していない部分がある。自立できていないからこそ、自分が安心できるような居場所を強く求めると同時に、後述するようにその居場所に集まる人に対して独自のルールを強要することがある。

 

馴れ合いを強固なものにするために独自のルールを作ることがある

私が実際に見てきた中では

  • 批判的な意見、指摘と取られる意見は一律禁止
  • とにかく褒める、理由もなく褒める、おだてると表現してもいいぐらいに褒めちぎる
  • 聞きなれない変な肩書きを自称しても、それを優しく受け入れ認め合う(相互に承認しあう)
  • 身内の関係の中で何かに挑戦する際は無批判に応援する。場合によってはクラウドファンディングのように金銭面での支援をすることが暗黙の了解として浸透している。(他人を金づるのように見ている)

など、プライドが傷ついて苦しまないようにという配慮が透けて見えるような独自のルールや文化が存在している。

意識高い系界隈にいたときの話だが、「批判よりも建設的な意見を!」「新しい価値観を受け入れ合おう!」など、主張そのものはもっともらしく思える言葉を耳にすることが多かった。

しかし内情を踏まえると、この手の言葉は「発言者やコミュニティに属する人にとって不都合な事は言わないようにしましょうね」という圧力を、優しさというオブラートに包んだ結果出てきたもののように感じた。まさに、馴れ合いそのものである。

 

本当の競争をしたがらないor競争を避けたがる

勉強や商売の世界ともなれば、誰かと競争する場面は避けられない。ある程度は競争の中で生きていく事は、覚悟しておかなければいならないものだ。

誰かと優劣を比べられ評価を受ける…という場面は、受験、就職活動、転職、恋愛や婚活など、あらゆる場面で起きるものであり、それらを避けていては人生の選択肢の幅が狭まるばかりだ。

しかし、努力しないのにプライドが高い人はこの手の競争をひどく嫌がる傾向がある。また、どうしても競争を強いられる場面になると、あえて手を抜いて誰かと本気で競争することそのものを放棄したり、自分でも楽に勝てそうな環境を選んで、全力を出さずに済むような状況を選ぶ傾向がある。

競争した結果、自分の理想に届かない評価を受けて苦しむことを避けたい心理もあるのだろうが、あえて手を抜く行為は、最初から全力を出さないことによって「まぁ、本気を出してないから中途半端な結果でも無理はないよね」と自分で自分を納得させるための言い訳を自ら作りに行くためにしているものだと思われる。

 

「○○になりたい」と思った時点で「○○になった」と思い込んでいる傾向がある

最後に、ちょっと何を言っているかわからないと思われても仕方がないが、努力しないのプライドが高い人は「○○になりたい!」と思った時点で、既に「○○になった」という思い込みの強さを持っていることがある。

例えば「将来有名な経営者になりたい!」と夢見た時点で、自分のことを誰もがその名を知るような有名経営者になったと感じている。

傍から見ればただ願望を持っただけの一般人でしかなかく、何か立場や経歴が変わったわけでもない。それなのに、まるで自分は有名な経営者のように振る舞うという一瞬何が起きたのか理解できない状況が起こるのだ。

わかりやすく言えば、自分で自分を洗脳している状態だと言ってもいい。ただし、洗脳と表現している事からもわかるように、実際はただ過度な理想を持っているだけにすぎず、当の本人が何か成長したわけでも、実績を積んだわけではない。

この理想と現実の明らかな差があるために、周囲からはツッコミが入ることが多いのだが、当の本人は何故自分がツッコミを入れられているのかを理解できずに、話は平行線をたどることが多い。

また、最悪なのがこの手の自己洗脳ができてしまう人は、ハッタリであっても人を惹きける一種のカリスマ性を持ち合わせていることもある。そのため、同じように何者かになりたいと夢見がちな人を引き寄せる。そして、ますます膨らんだ理想像を持つ。更には、理想像の自分を現実の自分と認識してしまい、どんどん世間とのズレが大きくなるのだ。

 

こういう人は外から眺めている分にはまだいいが、言うことを鵜呑みにするような状態になってしまえば、常識的且つ平穏に生きている人からの信用を失うことになりかねないので要注意である。

ネット上では非常識な人のほうがバズりやすいが、バズなど関係なく地味な毎日でも賢明に生きている人と関わる方が、変なことに巻き込まれることが減るので個人的には推奨したい生き方だと思う。