ナルシストなHSPはプライド高くて付き合いづらい

HSP
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最近妙に流行している、人一倍過敏で繊細な気質を指す「HSP」という概念。

繊細という言葉の印象にひきずられて、芸術面での才能があるとか、生まれながらにして多くの凡人には見られない特別な能力があるとか、まるで超能力者や霊能力者のような非科学的な能力を有している…というような、ナルシストじみた自惚れを見せるHSPな人が、ネット上で目立っているように感じる。

今回は、そんな自己愛の強いナルシストなHSPについて語ろうと思う。

 

「繊細な自分は素晴らしい」と自惚れて非HSPを下に見ている姿勢が不穏

ナルシストなHSPな人に多い考え方が「繊細な自分は素晴らしい」と思うことだ。しかし、この自分で自分を持ち上げ肯定する過程で

  • 「非HSPは鈍感な人間だ」
  • 「非HSPは頭が悪くて細かいことを気にしない野暮な人間だ」
  • 「非HSPは多数派で群れているから、思考力・認知能力が低い人間だ」

と、非HSPの人に対して軽蔑のニュアンスを含めた発言と態度を行いつつ、自分を持ち上げる。つまり「自分上げ、他人ディス」のやり方で自分を肯定しようとすることだ。

当然ながらただ自分を肯定するのと比較して、この方法では非HSPの人(つまり一般の人)の多くに喧嘩を売ってしまうことになる。いきなり「あなたは鈍感ですね」と言われて、いい気分になる人はまずいないはずだ。

「持ち上げるために勝手に格下の人間扱いされた」「勝手に踏み台や引き立て役にされた」という不愉快な気持ちにさせてしまうことに対して、非常に鈍感なHSPの人の態度には違和感を拭えない。

 

ナルシストなHSPは「周囲から理解されない悲劇の主人公ポジション」にこだわろうとする

また、ナルシストなHSPは、えてして

  • 「自分は世間や社会から認められなかったんです」
  • 「社会に適合できずに今こうして情報発信しているんです」

と、自分を悲劇の主人公っぽく話す傾向がある。

しかし、その話し方はどうも非HSPの人や、(言い方は悪いが)カタギの人間や社会を小馬鹿にしているうに聞こえてならない妙なプライドの高さを感じてしまい、そのせいで生きづらさを自ら増幅させているように感じた。

加えて上でも触れたように「自分上げ、他人ディス」という会話のせいで、普段から普通の人に対して喧嘩を売っているので、周囲から理解を得られるのは難しい。

散々自分を小馬鹿にしてくる人に対して「そんな素直になれない私のことを認めてください!」と言われても「ふざけるな」とか、無視などの冷たい態度を返したくなるのがオチである。

いわば、ナルシストなHSPが周囲からの理解を得られないのは、HSPの気質どうこうではなく、単純に自身の失礼な言動のせいである。

つまりは自業自得なのだが、当の本人はそのことを認めようとせず「社会や世間、周囲の人が悪い!」とまるで繊細なチンピラのように、あくまでも自分を被害者のポジションで居続けようとするのが特徴的だ。

 

周囲の理解が得られないのはプライドの高さが影響しているからではないか?

このように、ナルシストなHSPは周囲からの無理解に苦しむのだが、何故こうなってしまうのかと考えたとき、私はプライドの高さが影響していると見ている。

プライドが高い人は、そのプライドの高さが影響して自分の過ちやいたらなさを真正面から受け止めることができない。

もちろん、反省する素振りや自虐するなどして、自分のいたらなさを表面的には受け入れているように見えることはある。しかし、実際は「ちょっと反省する振りを見せれば、相手は自分のことを信じるだろう」という計算でやっているだけである。つまり、表の顔では反省したフリをしているが、裏の顔は全然反省なんかしておらず、むしろふんぞり返ったり、開き直ったり、別のことを考えている…という具合である。

 

話をナルシストなHSPに戻して、彼らは自分を周囲から理解されないと嘆くが、上でも触れたが相手が自然と理解してくれるようになるために必要なコミュニケーションができているかについては疑問がある。

普通の人を見下したり、繊細な自分を持ち上げるために暗にディスったりなど、反感を買うようなことをしているのにもかかわらず、そうした自分のいたらなさに向き合わず「周囲は自分を認めてくれなく生きづらい!」と嘆く。

 

ここで、しっかりと自分のいたらなさを受け入れて反省し、相手に対して歩みよることができれば、相手も認めてくれる、受け入れてくれる可能性がある。

しかし、ナルシストなHSPはプライドの高さが災いして、自分のいたらなさを認められず、あくまでも「周囲の人たちが悪い!」と他責思考で考えて自分の醜さと向き合うことを拒む。

また、場合によっては「周囲の方がHSPな自分に合わせるべきだ!配慮すべきだ!」特別待遇を求めてくることもある。自分の肥大化したプライドを捻じ曲げることができず、あくまでも肥大化したプライドに都合のいい特別待遇を他人に求めてしまうことが、ナルシストなHSPには見られるのだ。

 

ナルシストなHSPに見られる選民思想について思うこと

最後に、ナルシストなHSPには「HSPは選ばれた優秀な存在だ!」という危うい選民思想に近いものを持っている人が目立つ。

そしてその選民思想の行き着く先は「鈍感な非HSPはHSPに従うべきだ」というような、かえってHSPな自分たちを生きづらくする状況…つまり、他人と衝突したり、HSPである自分に怒りや不満の矛先が向けられる状況が待っていると私は感じている。

こうした選民思想を見ていると、過去の第二次世界大戦の頃のドイツ、ルワンダのジェノサイドのような、戦争・紛争のときに出てきた選民思想に通ずるものがあった。

もちろん、そんな不穏なことにはならないとは思うが、行き過ぎた選民思想をHSPの人が持つことは、私個人としてはあまり褒められた事ではないと率直に感じた。