HSPを言い訳にする人について思うこと

HSP
この記事は約5分で読めます。

HSP(過度に繊細な人、ただし科学的根拠やその信ぴょう性については疑問がある)が流行るにつれて、HSPであることを自称する人が「自分はHSPだから~」とHSPを言い訳にして、自分のやるべきことや責任、煩わしさや生きづらさを感じさせるものから逃げることが増えていると思う。

今回はこのことについて私がモヤっと感じる理由などについて語っていこうと思う。

 

言い訳はするが努力はしない、改善もしない。誰かに寄りかかるものぐさな人間になろうとする

HSPを言い訳にする人の中には、HSPであることのハンデを主張するが、そのハンデをどう小さくしていくか…という自らの努力や改善案を提示しないということがある。

HSPが生まれつきのもの(=気質)であり、後天的な努力で変えられないものであるという主張をして、自分が抱えている責任や負担を誰かに肩代わりしてもらうことで解決しようとすることで、物事を乗り切ろうとする図太さもある。これのどこか繊細なのだろうか…と思う人はきっと多いことだろう。

面倒事に対して努力も改善もしません。誰かに配慮してもらって乗り切る…そういう姿勢を見せる人に出会って、ニコニコとしている人は少ないと思う。

 

世間はHSPの母親ではないし、最初から誰かの努力のおかげでどうにか乗り切ろうとすることを目論むようなぐうたらな人間を笑って許すほど甘くなはい。

こう思うのは私が学生時代(教育学部生だった)に、実習でいわゆる発達障害や不登校の児童と接する期間があったことも影響もあると思う。

実習の中では、社会的なハンデがあってもなお自分の身の回りのことをできるだけ自分でできるようになろうと奮闘する子たちをたくさん見てきたし、実際に社会生活を営む上での基礎的な能力(例、挨拶などのコミュニケーション、忘れ物予防の方法を考案する…など)を身につけてきた子たちも見た。

何らかのハンデがあってもそれを工夫や努力で乗り切る…こういう人が目の前で成長していく姿を見ていた時期がある。だからこそ、HSPを理由にして自分のやるべきことから逃げ、ありのままというなのぐうたら人間になることを自らに許す形で自己肯定する様を見ると、はらわたが煮えくり返りそうになる感覚を私は覚えるのだ。

 

 

非HSPを「なんの苦労も努力しなくて生きていける人」のように思っている傾向が見られる

HSPを言い訳にする人の中には、どうも非HSPの人(つまり普通の人)をどこか「なんの苦労も努力しなくて生きていける人」のように思っている傾向が見られる。場合によっては、普通に生きている人はズルをしている、不正を働いている…みたいな、あらぬ疑いをかけられることもある。

もちろん、非HSPの人はHSPと違って日常生活で苦労することは少ない…が、決してゼロというわけではない。場合によってはHSPとはまた別で且つ同等のストレスを抱えていることもある。

また、これは私の持論になるが、自分がしている苦労や努力を人に見せないことを一種の美学のように思う人もいるし、私はどちらかといえばこの手の美学に感銘を受けるタイプの人間である。いわば「一流の職人は口で語らず己の背中と技で語る」という、どこかで耳にした格言に近い美学が私の好みである。

そういう美学を持っている人からすれば、自分の努力や苦労をなかったものとして扱われるのは決して心地の良いものではない。ましてや、すべき努力を放棄した人間にそのような態度をとられると、怒りがこみ上げるか、怒りを通り越して呆れになるか…だろう。

 

 

ハンデがあっても努力次第で人間は成長できることを認めたがらない理由

HSPに限った事ではないが、コミュ障だとか、発達障害(ADHD、ASDなど)だとか、不細工だとか…なんらかのハンデを持っており、且つそれを言い訳にする人を見ていて思うのが、仮にハンデがあったからといって自分の成長が期待できないわけではない…ということを自覚するのは、当の本人にとっては強い苦痛なのではないかということだ。

上でも述べたように、私はなんらかのハンデを抱えている子が、努力や工夫によりハンデを小さくしている姿を見てきた経験がある。

その経験があるからこそ、ハンデがあるからといって悲観視したり、すぐ別の可能性や活躍できる場所探しにうつつを抜かすのではなく、まずは今の環境で自分の努力や工夫によって問題を解決する方法を前向きに探っていくことを放棄してはいけないと思う。

とくに新社会人のように若い人や、集団の中で育ててもらえる立場にいる人であれば尚更、「私はHSPだから…」とHSPを理由にして自分の成長の余地を否定せず、努力や工夫、場合によっては先輩・上司から再度教育なり経験を受けるなどして乗り越える道を探るのも大事だと思う。

自分はHSPではなく、シンプルに経験・教育不足によりできないことが多々ある状態の未熟な人間だった。でもちゃんと経験を積んだ結果できることも増え、普通に生きていける人間になったとなれば、これほど幸せなことはないだろう。

 

…というような、眩しくて前向きなことを語ると自称HSPの人はすごく嫌な顔をするだろうなぁと私は個人的に思う。

これは私が過度にひねくれているせいかもしれないが、HSPを言い訳にする人は、言い訳がしたいのであって努力や改善をしたいのではない。言い訳をすることで自己肯定して、ありのままでいたいという思いが強い。努力や改善を求めているのではなく、シンプルに頑張りたくない自分を肯定するもっともらしい言い訳の材料としてHSPを利用している…のではないかと思う。

 

そういう思考回路こそ生きづらさの主たる原因ではないか…と思うのだが。

 

関連記事

頑張ってる人を嫌いになる現象がなぜ起きるのかについて解説する
育ちのいい人たちに囲まれて大人になってきた人であればあまりピンとこないと思うが、世の中には勉強やスポーツ、仕事や趣味など、何かに必死に打ち込んで頑張っている人を見ると、つい嫌悪感を持ってしまう人がいるものだ。 もちろん、真面目に頑張っ...