プライドが高すぎる人がHSPを名乗っている気がする件について

HSP
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まずはじめに、私は繊細な気質を指す心理学の概念(らしい)である「HSP」については、懐疑的に見ている…ということを踏まえてこの記事を読んで頂きたい。

ここ最近TVや人気youtuberが紹介したことで、ますます認知度が広まっている「HSP」だが、私の調べた範囲ではHSPを名乗る人に、なんとなくだがプライドの高さを感じることが多い。

今回は、そんなHSPを名乗る人に感じるプライドの高さについて個人的な見解を語ろうと思う。

 

「プライドが傷つきやすい=繊細」と誤認しているのでは?

プライドが高い人は自分を大きく見せようとする傾向があるが、その一方で劣等感やコンプレックスが強く、他人からの些細な評価や評判で強く傷つくことが目立つ。

美化された自分像に自惚れている一方で「あなたは自惚れているだけだ」というような図星な指摘を受けると、美化された自分像が所詮自分の中の妄想の産物でしかない。

自分は美しくもなく平凡な人間でしかないという現実を突きつけられてひどく心が痛むからこそ、他人の些細な評価や評判に過剰に反応してしまうのだ。

自称HSPの人がよく口にしている「他人の視線や言葉で疲れる」という悩みは、ちょっとひねくれた見方をすれば自分が他人からどう思われているかについて強く気にしているとも言える。

つまり、

  • 他人が自分の肥大化した自己像を見抜いていないか
  • 他人が自分を低く評価していないか

という、自分のプライドを傷つけかねない言動をしていないかについて、過剰に心配している。そうした気苦労がHSPの気苦労と偶然一致した結果「自分はHSPなんだ」と、まるでエスパーに目覚めた人のようにHSPを自称するようになっているのだと見ている。

 

自称HSPとプライドが高すぎるパーソナリティ(自己愛性パーソナリティ障害)

私自身心理学者でも精神科医でもないが、プライドの高いHSPの人のうたれ弱さについては、自己愛性パーソナリティ障害の人に見られる特徴によく当てはまるものが多い。

自称HSPの人は自己愛性パーソナリティ障害の人に見られる

  1. 過剰な特権意識と配慮を求める
  2. 自分が特別であり、独特であり、それゆえにほかの特別な関係以外では理解されないと信じている
  3. 十分な実績がないのに優れていると認められることを期待する

などが見られる。

以下で詳しく触れていこう

過剰な特権意識と配慮

自称HSPな人は、自分が繊細で傷つきやすいことを盾にして、他人に過剰な要求をすることが目立つ。また、要求をする際に「繊細な人の申し出を断るの?」というように、相手の良心に訴えかけるような狡猾な振る舞いをすることが目立つ。

「自分は繊細でか弱くて社会で生きづらを感じている立場の人間。だから、非HSPの人はそんなかわいそうな私に配慮するのが当然だ」というような特権意識が、プライドの高い人や自己愛の強い人を彷彿とさせるのだ。

 

自分が特別であり、独特であり、それゆえにほかの特別な関係以外では理解されないと信じている

HSPは繊細であるがゆえに、例えば「芸術や表現の才能がある」だとか「共感力が高く魅力的な人」と語られることが多い。

それだけでなく、「HSPの人が持つ才能は一般社会ではなかなか認められることはなく、理解されることも多い。つまり、悲劇のヒロイン的な存在だ」と語られることも多い。実際に、そういったセルフブランディングでSNSやyoutubeで活動している自称HSPの人もかなり確認できた。

たしかに、5人に1人しかいない(ただしこの数字はかなりアバウトな気もするが)HSPの人にとっては、8割型の人には理解されないだろう。

ただし、言い換えれば2割程度のHSPの人に理解してもらえる…つまり、選ばれた少数派たるHSPの人に認めてもらえる。しかも非HSPのような共感力もなく才能もない何者にもなれない凡人ではなく、魅力や才能がある優れたHSPな人に認めてもらえる。

こうした考えは、プライドの高い人には好ましいものだろう。優れた人に認めてもらえば、ますます自分が立派で選ばれた人間になったと感じられる。こうした考えができるからこそ、プライドの高い人とHSPの概念の親和性は高いと私は見ている。

 

十分な実績がないのに優れていると認められることを期待する

失礼を承知で言うが、ネット上で確認できる自称HSPの人がほかに名乗っている肩書きや実績は、お世辞にも社会的な地位があるとか、知名度があるとは言えないものが多い。

インフルエンサービジネスや情報商材にはまるような頭の弱そうな意識高い系が名乗っていそうな、ほぼ「無(む)」な肩書きだったり、スピリチュアルビジネスに関する肩書き、○○ブロガーや○○youtuberなど、ネット芸人の域を出ないような人達が自分のキャラ付けにHSPを名乗っていると私は感じた。

しかし、この手の自称HSPな人は、なんだかHSPを名乗っているだけで自分が繊細で才能がある人間だとか、多くの人には認められないが感受性なり、芸術や表現の分野なりを持っていると期待している。

しかし、所詮は何の根拠も無い自称の肩書きでしかないので、肯定的な反応はまずかえってない。結果、勝手な期待が裏切られて失望している…という、一連の流れが見られた。

しかし、この勝手に期待して勝手に裏切れたことでついた傷でさえも「これはHSP由来のものだ」と、ますますHSPにのめり込む要因になっているのが、どこか恐ろしく感じてしまった。