私自身、在宅のフリーランスのクリエイター職で生計を立てているせいもあってか、最近HSPを名乗るクリエイター(主に新人、初心者)を見かけることが多い。
とくにSNS上のプロフィール欄に「HSP」を明記しているイラストレーターや漫画家など、創作活動をしている人を見かけることが多くなった。
これについて私が思うことを語ろうと思う。
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HSPを名乗る新人クリエイターは正直言って不安を覚えやすい
冒頭でも触れたが、HSPを名乗るクリエイターは近年の副業・フリーランスブームに乗せられてしまったであろう新人クリエイターによく見られる。そして、「お仕事募集!」とSNS上で仕事を募集している光景もよく見られる。
しかし、私が思うに新規のお客さんから見て、認知度が上がってきているとは言えよくわからない「HSP」という概念を載せている時点で、少し仕事を頼みづらい印象を持ってしまう。
誤解を恐れずに言えば、
- 何か精神的・情緒的に不安定な所があるのではないか?
- 繊細であることを理由にして事務的な交渉やコミュニケーションを嫌がるのではないか?
という、不安材料を感じてしまうために、仕事が頼みづらくなるのだ。
仕事を頼む方からすれば、なるべくコミュニケーションコストがかからない人。つまり、変に心配や不安を感じさせない人の方が、安心して仕事を依頼しやすい。途中でバックレや音信不通になる不安がない人に仕事を依頼するのは実に賢明な判断である。
ただし、この話は誰かから仕事を依頼されることで生計を立てていくこと以外の方法で収入を得ようとする場合には当てはまらない。
自分のファンから直接マネタイズする(オンラインサロン、月額支援など)場合においては、後述するようにファン獲得のためにHSPを名乗るのは一定の効果があると考えている。
「『ハンデがあるけど頑張っている』というキャラ作りでファン獲得を狙っているのでは?」という可能性
嫌がられるのは承知で書くが、HSPを名乗っている新人クリエイターはお世辞に実力があるとは言えない人が目立つ。
ネット上で「辛い環境から逃げてもいいよ」という甘い言葉にそそのかされて、流されるように社会のレールから降りて路頭に迷った結果、クリエイター(あるいはフリーランス)という肩書きを便宜上名乗っているように見える。
しかし、それだけでは自分を強く売り出せないので「HSPという生きづらさを抱えているけど、一生懸命頑張っています」とアピールしている。
つまり、うあざといキャラ作りとしてHSPを名乗っているのではないかと感じてしまい、もやってしてしまうのだ。
私の憶測も含むが、自分のクリエイターとしての技術がであり「私はこんな作品を作ってますよ」と、堂々と主張するだけの自信が無い。
普通に作品をアップしても見向きもされないぐらいの実力だからこそ、下駄を履かせる目的として「HSP」と主張しているのではないかと見ている。
つまり、下駄を履かせないことには見向きもされないぐらいの人間ですよ、と自分で言っている。その姿はストレートに言えば「痛い」のだ。
フォロワーや共感者を増やすのためにHSPを名乗っている可能性
クリエイティブ職の人にとって、自分の作品や自分自身を応援してくれる人はありがたい存在である。ファンを獲得することはSNS全盛の昨今では必須事項といえよう。
しかし、クリエイティブ職は多くは実力社会であり、いいねやリツイート、コメントなどたくさん獲得できる人と、全く反応が来ない人との差が如実に出る。それは、HSPのように繊細な人であろうとなかろうと受け入れがたい事実だと思う。
そんな反応が来ない状況を避けるためにも、そして稚拙ながらも自分と自分の作品への反応が欲しいという目的を達成するためにも、HSPであることを主張してフォロワーを獲得しておくのは効果的だろう。
同じくHSPのフォロワーを集めておけば、繊細で他人を思いやるのが上手だからこそ、HSPではない人と比較して「いいね」やコメント数を効率的に集めやすい。
また、いいねの数が伸びやすいからこそ「この人の作品は多くの人から認められているんだ」と、自分の作品を始めて見る人に思わせることもできる。つまり、自分を有名なクリエイターであるとアピールするためにも、HSP界隈に入り浸って営業活動をしておくのは自分を売り出すためには効果的な戦略なのである。
しかし、これは上でも触れたようにHSPという下駄を履かせなければいけない程に、自分の実力が無いこと。そして、下駄を履かせて自分を優良誤認させようとしていると思われてしまい、イメージを悪化させてしまう可能性もある。
また、言い方は悪いが自分がチヤホヤされたいために、他人の善意にあぐらをかいている。自分の利益や見栄しか考えられない、めんどくさい人だと思われてしまう可能性もある。私自身、HSPを名乗って活動することには、正直言っておすすめできないというのが結論である。