繊細な気質であることを示す「HSP」という心理学の概念(ただし信ぴょう性や定義に大きな問題があるけど)がますます認知度を高めている昨今、自分で自分のことをHSPという人が増えてきているように感じる。
しかし、私自身HSPを名乗ることについては、決して良いことばかりではないという気持ちが強い。むしろ、自分で自分を更なる生きづらさに追い込みかねない…そんな危うさがあると考えている。
今回は、そんなHSPを名乗ることの負の側面について、個人的な見解を述べてみる。ちなみにだが、HSPとほぼ同じ意味で使われる「繊細さん」を名乗ることについても当てはまる負の側面があるので、参考になれば幸いである。
HSPを自称することのデメリット
あらゆる不安をなんでも「HSPのせい」にしてしまい根本の解決から遠ざかる
ストレートに言えば、HSPを名乗る人が口にする生きづらさや悩みについては、素人判断ながらも
- 「発達障害(ADHD、ASDなど)や何かの病気が原因では?」(→適切な治療、支援を受ければ改善するかも?)
- 「純粋に対人経験や社会経験の少なさが原因では?」(→対人経験を積めば改善するかも?)
- 「経済的問題からくる生きづらさと混同しているのでは?」(→公的機関の支援なり良い待遇のところで働くなり、家計を見直すなりすれば改善するかも?)
というように、HSP以外の要因も考えられるものが目立つ。もっと言えば個人レベルではない要因も十分に考えらる。(例:景気悪化、新型ウイルス、異常気象など)
なんでもかんでもHSPに結びつけて考える行為には、漠然とした不安に対する明確な答え見つかったことによる安心感は得られるかもしれない。
しかし、一方では別の方法で悩みを根本的に改善できるかもしれない…という可能性を自ら閉ざしてしまっているように見えてならない。
例えば、心身の不調をなんでもHSPのせいにしてしまい、本来であれば医療機関や公的機関の手助けで解決or改善していた不調が治らないままの人生を全うするハメになったら…という事を考えると、安易に自分で自分をHSPだと決め付けることの危うさが浮き彫りになる。(自分で人生の縛りプレイをするのがご所望なら止めはしないが)
とくに「HSP=気質=後天的に変えられないもの」と認識しやすいために、自分で自分をHSPだと決め付けることは、自分で自分の人生を決めつけて束縛してしまうものにもなりうるのだ。
「めんどくさい人」とみなされかえって人間関係で苦労する
HSPのように明確に障害というわけでもなく、かと言って精神疾患のように医療に基づいた診断もされず、せいぜい「繊細すぎる人」程度の権威があるのかないのかよくわからず、自己診断の域を脱しない概念を主張しだす人は、誤解を恐れずに言えば「めんどくさい人」にほかならない。
ここでいう、「めんどくさい人」とは
- 関わったら気苦労が絶えなさそうな人
- トラブルメーカーになりやすい人
- (とくに仕事においては)扱いが難しく教育しづらい人。コミュニケーションがとりづらい人
- 繊細すぎて勝手に被害妄想を膨らませては、それを他人にぶつけてきそうな繊細ヤクザorチンピラ
というものだと思ってもらえばいい。
自分としては繊細であることを理解してもらいたい一心で説明しているのかもしれないが、繊細であるからこそ「迂闊に触れてはいけない人」とみなされ、結局人間関係で苦労する事態になってもなんら不思議ではないと思う。
加えて、めんどくさい人と見なされるからこそ、対人関係も希薄になり対人能力やコミュ力が育たない。というか、育てる場を自ら遠ざけている。
安定した人間関係の獲得に失敗した結果、精神を病むことになっても不思議ではないと思う。
(本音丸出しネットの大海原にどっぷり浸かっている方々にはこの手の意見はウケが悪いと思うが)自ら誤解を生むような発言をしないこともまた、コミュ力や対人能力を鍛えることにも、精神的に安定した人から成り立つ関係を手にするためにも重要なことである。
同じように性格・人格に難のある人を呼び寄せてしまう
HSPのようにめんどくささを匂わせるような発言を自らする人のもとには、精神が安定している人、育ちがよい人のような、いわゆるまともな人は集まりづらい。
見えてる地雷を踏むような真似は非合理的だと考えられるだけの教養と自制心があるからこそ、好き好んでめんどくさい人と関わるだけのメリットを見出すことは基本的にはない。
その代わりに、HSP同様にめんどくささを漂わせている人…つまり、性格や人格に難がある人を呼び寄せてしまいやすい。その結果、不安定な人間関係に悩まされるリスクがあるのだ。
人間関係に悩む人にありがちだが、自分が恵まれない人間関係ばかり引き当ててしまうのは、運が悪いだとか、環境に問題あるだとか以前に、純粋に自分の普段の言動が、いわゆるまとまな人を遠ざけてしまうものではないのか…という点について、振り返って見ることが大事である。
余談:情報弱者と自称HSPの共通点
最後に、マルチ商法をはじめとした悪徳商法やカルト宗教に狙われる人の特徴とHSPを名乗る人の特徴には、多くの共通点があると私は考えている。
ざっとまとめると以下の通りである。
- 権威、あるいは権威を感じさせるものに非常に弱く、無批判で信じ込んでしまう。
- 自分で自分を優しい人、真面目な人だと強く思い込む。そのせいで「疑う=優しく真面目な自分を否定する」という思考になり自分自身や他人を疑えなくなる。結果、影響力や権威のある人・集団に流されやすい。
- 交友関係や社会経験が乏しい。そのため、まともに生活している人なら違和感を持てるようなトンデモ理論に違和感を持たず、鵜呑みにしてしまう。
- 交友関係の乏しさゆえに悪徳商法に手を染めても、それを咎めてくるような人が出てこない可能性が高い。そのため、騙すにはうってつけのカモとみなされやすい。
- 精神的に弱っており冷静な判断力に欠いている状態である。派手な儲け話や「よき理解者が見つかりますよ」的な話を仕掛けるには打って付けである。
HSPなる胡散臭い概念を名乗ることは、言い換えれば胡散臭い人に「自分はカモですよ」と言っているような危うい行為であると私は強く感じる。