自分がメンヘラだと認めたくない人がHSPを自称している可能性について

HSP
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ここ数ヶ月で名乗る人が増えていると感じる「HSP」という概念。

繊細で敏感な気質を持つ人を表す心理学の概念であるが、私はどうもこの概念を名乗る人は、実はメンヘラのように否定的な印象がついているカテゴリに当てはまる人間であることを自覚している。しかし、メンヘラはあまりにも印象が悪いので、代わりにまだ歴史が浅くて且つ流行になっている「HSP」を名乗っているのではないか…という疑念を感じている。

今回はそのことについて語ろうと思う。

 

HSPの方が明るく、メンヘラの方が暗い印象がある

HSPとメンヘラ。どちらも日々の生活に生きづらさを覚えていることは共通しているし、繊細すぎる性格や細かく考えてしまう癖のせいで、他者との衝突を起こすことは多い概念である。

しかし、HSPとメンヘラという概念から受ける印象を比較してみると。

  • HSP:人よりも繊細すぎて生きづらさを抱えている人。他人に迷惑をかけたりしないので繊細だが善良な人、根は優しい人、共感力が高くて苦労している人というポジティブな印象を与えやすい。
  • メンヘラ:病み度合いはHSPよりも重く、他人に対して余計なプレッシャーをかけやすい。他人に迷惑をかけてしまう人と見られやすく、ネガティブな印象を与えやすい。

という明暗がはっきり分かれていると感じる。

また、メンヘラという言葉が「メンタル」の「メン」から来ているため、精神に何らかの問題がある人という直接的な悪印象を持つ一方で、HSP(Highly Sensitive Person)はそもそもが英語であり「海外の研究で新たに見つかった新進気鋭の概念」という好印象で語られていることもあってか、メンヘラよりも印象をマシだと私は感じている。

ただ繊細すぎる人だけでなく共感力もある。人付き合いにおいてはメンヘラよりも安全。むしろ好かれる印象で自然に語られやすい概念であるからこそ「実は私の生きづらさはメンヘラのせいなのかも」と感じている人が「いや、私はメンヘラではなくHSPのせいで生きづらいんだ」と思考を巡らせた結果、HSPを名乗る人やHSPに目覚めた人が急増しているのではないかと推察している。

メンヘラがジメジメとした希望すらない概念であるとしたら、HSPはむしろ「この繊細さは実は他の人にない秘めたる才能の萌芽なのでは」という希望に満ち溢れたをもたらしてくれる概念に思えてくる。

だからこそ、メンヘラを自覚しつつあるがやっぱり認められない人が、自分に取って受け入れやすいHSPを名乗るという事例が増えているのではないかと思う。

 

HSPの方がより理解者や共感を集めやすいから自称しているという可能性

メンヘラもHSPもどちらも生きづらさを抱えている点は共通している。そして、その生きづらさに対して理解や共感を周囲に求めたがる点もまた共通している。

しかし、他人に理解を求めるときに「自分はメンヘラで生きづらい」というのと「自分はHSPで生きづらい」というのとでは、どっちの方が理解が得られやすいかには大きな差がある。

「メンヘラで生きづらい」と言われると、普通の人からすればあまりにも荷が重すぎるので、辛そうだとは思うものの内心関わりたくない相手だという反応がくる。つまり、理解は得られにくい。

しかし「HSPで生きづらい」と言われた場合は、メンヘラほどの荷の重差は感じにくく、またHSP自体が結構誰にでも当てはまる部分があるため、比較的容易に理解を得やすい。(もちろん、理解する方に負担がないわけではないが)

自分の生きづらさに対して、より効率的且つ安全に理解を得たい願望がある人からすれば、メンヘラよりもHSPの方が、より簡単に理解が得やすい。場合によっては自分が誰かの生きづらさに対してHSPという名前を与えることで感謝や尊敬をされる可能性もある。

逆に誰かの生きづらさにメンヘラという名前を与えようものなら、「レッテル張りだ」と言われて衝突は免れないし、ただの失礼な人間である。しかしHSPなら、「レッテル張りだ」と言われる不安も(今の時点では)少ない。

だからこそ、今はメンヘラよりもHSPがブームになっているのではないかと感じている。

 

HSPもメンヘラも名乗らずに生きていけないのはなぜだろうか

ただし、ここで疑問なのが、HSPやメンヘラなどの名前を名乗らずに、堂々と生きて生けないのだろうか…という疑問である。

もちろん、自分の生きづらさにメンヘラなりHSPなりの名前が付いて安心したり、そしてその名前に当てはまる人同士で理解や情報共有が進むこと自体は問題ない。

しかし、メンヘラもHSPもどちらも「私は生きづらさを抱えている人ですよ(だから、私に配慮してください)」という静かな要求の押し付けのニュアンスを含む概念である。そのため、誤解を恐れずに言えば「メンヘラ or HSPを名乗る人は地雷である」という見方をされても無理はないと考えている

 

そもそも繊細であるのなら、むやみにHSPを自称する自分が周囲からウザがられていないかという視点があってもいいものだとは思う。

しかし、自称HSPの人にはあえてHSPであることを主張してむしろウザがられに行っている&ウザがられたら被害者面をして周囲の人(とくに自称HSPの友人)から慰めてもらえることに満足している人が目立つ。

他人に共感を求めるが、自分の方から積極的に他人に共感しない。そういう自分本位な姿勢を持つ人は以前なら他人を振り回すタイプのメンヘラに見られたが、最近ではHSPを名乗る人にも増えている。

こういう光景を見るにつけて、実はメンヘラだと認めたくない人が、便宜上HSPを名乗っているだけではないかと…と感じた次第である。