褒められるとむしろイライラ「褒められても嬉しくない病」について語る

人間関係・コミュニケーション
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「褒めて喜ばない人はいない」とはよく言うものだが、現実はそう単純なものではない。

褒めて喜ぶどころか、むしろ機嫌を悪くしたり、拗ねてしまったり、「この人わかってないなぁ」と内心見下しているんだろうなと思われる態度を取ってしまう人もいるものだ。

正式な病名ではないが、こうした褒められても素直になれない人のことを「褒められても嬉しくない病」と仮称し、今回はこの病気について個人的な見解を述べていこうと思う。

 

褒められても嬉しくない病になってしまう原因として考えられるもの

自己評価が高すぎるせいで普通の褒め言葉では満足できない

自分で自分の頭の良さや、才能、美貌や経歴などを過剰に高く評価している人の場合、自分に対して向けられるごく普通の褒め言葉ですらも「この人は自分のことを褒めているように見えるけど、自分の実力を正しく評価できていない!」と感じてしまい、不機嫌になってしまうのだ。

ごく普通の褒め言葉では、過剰に高く評価している自己イメージにあっていない。むしろ自分を過小評価しているように感じたり、実は褒めるように見せかけて裏では揶揄や嫌味を言っているかのように感じてしまうことで、褒めているのに不機嫌になってしまうのだ。

とくに、自己愛やうぬぼれが強い人、ナルシストで自分の才能を鼻にかけている人にこの傾向が目立つ。また、SNS上では「いいね」では満足せず自分を高く評価するコメントなり反応なりを欲して、周囲に対して余計なプレッシャーをかけてしまった結果、次第に褒めてくれる人がいなくなる。

そうすると今度は「本当は高い評価を受けるはずなのに、わけあって評価されていない不遇な主人公」であるかのような態度をとって周囲の同情を誘おうとする言動に出ることも目立つ。

 

自己評価が低すぎても褒め言葉が不快に感じる

また、自己評価が低すぎる人もまた褒め言葉を受け取ることに強い抵抗を感じることがある。

これは、自分で自分のことを過小評価しているために、まっとうな評価であっても「この人は本当の自分を知らずに評価してくる、自分のことをよく見ようとしない人だ」と感じて、褒め言葉に嫌悪感を示すのだ。

自己評価が低すぎるのでなんとか励ましたり肯定的な言葉をかけたくなる人物ではあるが、褒め言葉を受け入れるだけの精神的な余裕が無いので、いくら肯定的な言葉がけをしても暖簾に腕押しなのである。

なお、自己評価が低すぎる人は自分を低く評価してくれる人や組織の方が居心地の良さを感じて居着いてしまう傾向がある。劣悪な人間関係やブラック企業、DVを振るうパートナーからなかなか逃げようとしない人は、自己評価の低さが影響していると考えられる。

自分に向けられた褒め言葉をしっかり受け取るには、高すぎず、低すぎずの自己評価を持てるようになることが肝心なのだ。

 

褒めてくる人に対して疑心暗鬼になる癖がある

これまでに、褒めてくる人に都合よく利用された経験をしてきたために、褒めてくる人に対して疑心暗鬼になってしまった。

つまり、「褒め言葉を向けてくる人=自分を利用しようと企んでいる人、ゴマすりをしてくる人、悪意を持って近づいてくる信用ならない人」という見方をするようになった結果、褒められることに不快感を抱いているのだ。

褒めるというコミュニケーションは相手を評価するという側面もあるが、一方で相手をいい気持ちにさせることで要求を飲み込ませる…という交渉術、人心掌握術にも使える側面がある。

そんな交渉術によりうまく丸め込められて嫌な経験をした結果、褒めてくる人に対して過剰に警戒するようになる。「この人の褒め言葉の裏にある意図や思惑は何なのか?」と、相手の褒め言葉を疑う姿勢がついてしまい、褒められて喜ぶのが難しくなるのだ。

 

「褒める=調子に乗ってしまう」という教育を受けてきた影響

  • この子は褒めるとつけあがる
  • この子は褒めると調子に乗るので厳しくするのがいい

など、褒めることの喜びよりもその後に続く否定的な言動を強く意識せざるを得ない教育を受けてきた結果、褒められても「自分は調子にのってしまうから、あまり褒められたくない」という態度を取ってしまうのだ。

また、この手の教育を受けてきた人は、いわゆるお調子者のような上手な調子の乗り方を人生の中で学んできていないため、調子に乗ることに対して過度な不安を感じている。

「もし自分が調子に乗るようなことがあれば、その時はおそらく自分で自分をコントロールできなくなり、たくさんの人に取り返しのつかない迷惑を与えてしまうかもしれない」という、自分を制御できなくなるという不安を抱えている。

だからこそ、その不安を想起させる「褒める」という行動に対して、不快感を見出してしまうのだ。

 

褒められても嬉しくない病は褒める側にも原因がある…こともある

最後に、褒められても嬉しくない病が起きるのは、褒められる側だけでなく褒める側にも原因があると可能性について触れておこう。

例えば、褒め方が雑であったり、誰に対しても通用するようなありきたりな褒め言葉では「この人は本当は自分のことをよく見て褒めていないんだな」と思われて、褒められた方はがっかりしてしまうのも無理はない。

また、過剰に褒め立てる、まるで褒め殺すかのように不自然なほどに褒めることもまた、褒められる側を置き去りにしたコミュニケーションであり、不快感を顔に出されても無理はないだろう。

さらに「とりあえず褒めて喜ばない人はいないから、褒めておけばいいだろう」という、たかをくくった態度で褒めるのは、相手を褒めているように見えてじつは褒める相手を下に見ていることがまるわかりな行動なので、その失礼さに相手が腹を立てるもの無理はない。

褒めた結果相手が不機嫌になるのは、決して相手にばかり原因があるのではなく、自分自身にも原因があるという考えを持つことが、人間関係で無意識のうちに相手をイライラさせないためには重要であろう。