メンタルの弱い人がずるい、うざいと思われる理由を説明する

メンタル・心理
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落ち込みやすい、ネガティブ思考になりやすい、打たれ弱くすぐ動揺してしまう…など、いわゆるメンタルが弱い人(=豆腐メンタル)に対して、「正直ずるい人、うざい人だなぁ…」と思っている人は少なくないと私は思う。

もちろん、そんなことを思っていても口に出さない人がほとんどだと思う…が、あえてこの記事では、何故メンタルが弱い人がずるいとかうざいとか思われているのかについて説明していこうと思う。

 

メンタルの弱い人がずるい、うざいと思われる理由

メンタルの弱さを盾にして自分のわがままを押し通そうとする小賢しさがある

メンタルが弱い人はメンタルが弱いという事そのものを一種のステータスや交渉材料のように扱うことがある。

つまり、「自分はメンタルが弱い人間なので配慮してください!私が希望するように周囲の人は動いてください!」と個人的なわがままを、メンタルの弱さを盾にして押し通そうとする…そんな面の皮の厚さと小賢しさを持っていることがある。

もちろん、これは見る人から見ればただのわがままや甘えと捉えられて避難や指摘を受けてもおかしくない行動である。

しかし、ここで厄介なのがメンタルが弱い事を盾にして、指摘してきた人を悪者扱いにしてしまうことである。

 

指摘しても「こんなに傷ついているのに、なんとひどいことを言うの?」と開き直り付け上がる

メンタルが弱い人はささいなことで傷つきやすいことをいいことに、自分に向けられた全うな指摘ですら「傷つきやすい自分を意図的に傷つけるような許されない行動だ!」という態度で反発したり、逆に過剰に傷ついた素振りを見せて指摘してきた人を悪者のように錯覚させる雰囲気を作ってしまうことだ。

つまり、なんとかして自分が反省しなくても済むような行動を取り、自分のいたらなさや未熟さ、甘えやわがままを認めることから逃げる。挙句の果てには、(自分の不手際からくる)メンタルの傷つきから逃げることそのものを肯定してしまう癖があるため、うざいと思われてしまうのだ。

健全な人間関係であれば、自分のいたらない言動のせいで他人に迷惑や不利益を与えてしまったら、反省や改善をしてよりよい人間関係を構築していくものだ。

しかし、メンタルの弱い人は自分のいたらなさから目を背けたり、開き直るような言動を繰り返すばかりである。一方的に自分以外の誰かに我慢や苦労を押し付けてしまう不健全な人間関係を構築してしまうのだ。

 

勝手に傷ついて自分は被害者、他人は加害者に見立てて周囲の人を振り回す

指摘することでも触れたが、メンタルの弱い人は傷つきやすいことが災いして、ささいなことでも勝手に、そして過剰かつ大げさに傷ついてしまう傾向がある。

さらに傷つく過程で自分は被害者であると主張すると同時に、自分を傷つけた相手を加害者であると主張し、人間関係をかき乱してしまう癖があるのだ。

もちろん、ここで加害者にされてしまう人は、全く謂れのない罪で加害者に仕立て挙げられることも多い。つまり、メンタルの弱い人に冤罪をかけられているのだ。

もちろん冤罪なので「自分は何も悪い事をしていないし、傷つけるようなことをしていない」と主張しても、その主張そのものがメンタルの弱い人(被害者)を追い込む行為だと捉えられてしまう。

元はといえば冤罪を吹っかけてきたメンタルの弱い人の方に問題があるのに、気が付けば冤罪をかけられている人そのものに問題があると論点がすり替わってしまう…というめんどくさい状況を作り出すため、メンタルの弱い人はずるい人だと思われてしまうのだ。

 

あくまでもメンタルが弱い自分を貫こうとする、改善が見えないことに不満を抱きやすい

メンタルの弱さをダシにして美味しい思いをしてきた人は、散々「自分はメンタルが弱くて困っています~」という態度を取りつつも、結局のところはメンタルが弱いという今の立場を貫こうとすることが多い。

態度では困っているとか苦しんでいると表明しているが、その実態はメンタル弱者であることを武器にして増長し、付け上がり、自分にまっとうな意見をする人間を見えづらい形で排除しようとする、まるで静かな暴君のような存在と言ってもいい。

また、この手のメンタルが弱い人には同用にメンタルが弱くて他責思考の強い人が集まったコミュニティが形成されやすい。

こうなると、メンタルが弱い人に困らされている組織や別のコミュニティ、社会全体の風潮や政治、働き方、教育システムなどに、まるで当たり屋のように突撃しては「傷ついた!どうしてくれるんだ!」と主張しだしてくることが、ネット上ではよく見られる。

 

メンタルが弱いと訴えやすくなった弊害が今注目されるようになっているのでは?

一昔前に比べると、うつ病などの精神疾患やHSPを始めとする生きづらさを抱える人など、いわゆるメンタルの弱さを主張しやすくなった時代だと思う。また、インターネットの発展でメンタルが弱い人同士で交流することも容易になった。

しかし、その一方で気軽にメンタルが弱いと訴えやすくなったことや、メンタルの弱い人の意見に同調する声が高まった弊害も、同時に出てきているように思える。

そのひとつの例が、今回の記事で触れたメンタルが弱いのにやたらと攻撃的で自己愛の強い人の存在なのではないだろうか。