すぐ才能のせいにして諦める人の心理を説明する

メンタル・心理
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クリエイティブ職という才能が大きな武器になると思われがちな仕事をしているせいか、よく「自分には才能がないから…」という意見や「センスなんて努力でつけようがないよね」という、半ば諦めに近い意見を見聞きする事が多い。

なお、この手の意見は決してクリエイティブ職ではない人のものではなく、同業の人であったり、将来クリエイティブ職を希望している人から見聞きしたものである。

もちろん、才能の有無が仕事に無関係であるとは思わないし「よくわからない」というのが私の素直な答えである。

しかし、それよりも私が引っ掛ったのは、この手の人はまるで「才能ですべて決まる」と誰かに言ってもらいたいかのように「才能が…」という意見を発しているように感じたことだ。

そんな経験を踏まえた上で、今回はすぐ才能にせいにする人の心理について個人的な見解を述べていこうと思う。

 

すぐ才能のせいにしたがる人は頑張らなくてもいい理由を探している

私が思うに、すぐ才能のせいにしてしまう人は頑張らなくてもいい理由を探しているように感じる…というと、ツッコミが入りそうなので詳しく説明していこう。

才能のせいにしたがる人は決して努力をしていないわけではないし、才能がないというわけではない。しかし、精神的に自立していない点や責任を負いたくないという気持ちの強さ、そして継続して勉強や仕事、運動などの何かしらの修練を積む事そのものを心の奥底で嫌がっているように思えることが多い。

もちろん、今の世の中で勉強や仕事をしないままでは進学、就職という自分の人生を大きく左右する場面で致命傷を負いかねない。しかし、致命傷を回避するために地道な努力を積み重ねるのは気が進まない。だが、かと言って自分で今まで一応でも積み上げてきた努力を諦めるのはみっともないというプライドがある。

そんな複雑な心理を抱えている人が、精神的に楽になりたいがために「○○って才能が必要ですよね」と質問をしてくる。

まるで「うん!才能が必要だよ」と他人から言われて「やっぱり才能なんですね、自分には才能がないから諦めます」と、今の努力を続けるべきかどうかの選択を影響力のある他人に決めてもらいたい…そんな、自分の人生への当事者意識の薄さを私は強く感じた。

 

自分で自分の可能性を否定するよりも誰か何かに可能性を否定された方が楽になりやすい

勉強や仕事において、何かしら努力を積み重ねてきた人が、自分でその努力を否定するのは強い苦痛を伴うものだ。

しかし、もしこの努力を否定するメッセージが、例えば自分よりもはるかに実力のある人に言われたものや、自分一人の力ではどうにもならない出来事(自然災害、流行の移り変わり、経済・景気の悪化など)によるもの、自分で自分を否定する苦痛から逃れられるむのだ。

もちろん、苦痛がゼロになるわけではない。しかし、頑張らなくていい理由を自分の努力不足や才能の無さで結論づけるのではなく、自分以外の誰かや何かのせいにできるのであれば、自分で自分を傷つけなくて済む。

「自分が目指している分野のトップの○○さんが言ってたのだから仕方ないよね」とか「生まれつきの差orAIやテクノロジーの進歩のせいなのだから仕方ないよね」と、他責で片付けることができればその分、苦痛を緩和できるのだ。

 

「自分には才能がない」という絶望が当人にとっての救いになっている

皮肉かもしれないが、わずかでも自分に才能や可能性があるという事の方が実は重く苦しい。

むしろ、才能や可能性が完全にゼロだと誰かから突きつけられた方が、下手に夢を見続けて努力を重ねて消耗する苦痛から解放され楽になれるものだと私は考えている。

例えば大学受験の場合、初めから入りたいと思っている志望校の合格確率が0%だとわかったほうが、無駄な努力や勉強のストレスで消耗しなくても済む。

もちろん、受験当日までに偏差値を上げて合格可能性を少しでもあげる努力は可能だが、そんな不確実な事のために労力を費やすぐらいなら、初めから100%受かるであろうところに焦点を絞ったほうが、変にストレスを背負い込まない生活ができる。

下手に夢や可能性さえ見なければ「ひょっとしたら著名なクリエイターになれるかもしれない」という希望を抱きつつ努力するも、なかなか芽が出ずにくすぶり続ける毎日に悩まされる事は無くなる。

他のクリエイター志望の成長に嫉妬したり、焦りを感じたり、実績の乏しさに劣等感を感じたり…といった苦い経験も、下手に夢や可能性を信じず最初から諦めていれば味わなくて済む。

加えて何より才能のせいにしとけば、努力不足という自分自身の落ち度に向き合い反省しなくても済む。

 

他人からそれとなく絶望を突きつけられる事は、一見すると非常に悲しく苦しい事かも知れない。

しかし、心の奥底で日々頑張らなくていい理由を探しているような後ろ向きな心の持ち主の人にとっては、絶望的な言葉こそ実は希望をもたらす言葉になっているのではないかと私は考えている。

自分よりもはるかに影響力のある人に絶望を突きつけられれば、未練なく楽になれる。苦痛や苦行から開放されて、心穏やかな落ち着いた生活を取り戻せる。

そういった淡い期待を求める心理が、すぐ才能のせいにする人にはあるのだと私は考えている。