仕事でも勉強でも「焦ってもいい結果にならないから、自分のペースでコツコツ努力しよう」という類のありがたい言葉を見聞きすることは、誰でも一度は経験していると思う。
もちろん、焦りが原因となってケアレスミスが増えてしまい、思うような結果にならないことは十分ある。
しかし、私は「焦らない方がうまくいく」…というやり方は、決してどのような場面、状況でも必ず効果があるとは考えてはいない。今回は、そう考える理由について、個人的な見解を述べていく。
「焦らなくていい」をいいことに、先延ばし癖を発動させて失敗する
「焦らなくてもいい」という言葉を鵜呑みにして失敗してしまう人にありがちなのが、「焦らなくていい」というアドバイスを拡大解釈して、今やるべきことを先延ばしする口実として使ってしまうことだ。
要するに、今頑張らなくいいもっとらしい理由として「焦らず自分のペースでやればいいよね」と自分で自分に言い聞かせた結果、時間が経つにつれて状況が悪化してしまい、思うような結果が出なくなってしまう…というケースだ。
多少は焦るべき必要性がある場面で、緊張感を持てず、集中力もなく、モチベーションも上がらず、ただ時間をいたずらに消費して現実逃避に走る理由として見れば「焦らなくていい」は実に使い勝手がいい。自分で自分を納得させるに留まらず、周囲の人を納得させるために使うもっともらしい口実としても実に便利だ。
しかし、その便利さゆえに使い方を間違えると、本来であれば失敗せずに済んだor仮に失敗してもなるべく損害を小さく抑えられたかもしれないのに、割と洒落にならないレベルの大失敗を自ら招きかねない言葉である。このことについては、よく胸に刻んでおくべきだと私個人的には考えている。
「焦らなくていい場面」と「焦ってでもやるべきことをやる場面」との区別ができていない
「焦らなくてもいい」という言葉を、まるで万能なものとして考えている人にありがちなのが、自分が置かれている状況が本当に焦らなくてもいい場面なのか、それとも今は焦ってでもやるべきことをやる場面なのか区別することを放棄して、全部「焦らなくていい事だ」と考えて処理してしまう。結果、失敗を自ら引き起こしてしまうことだ。
例えば、受験や就職活動のように、試験の日時が指定されているものの場合、「焦らなくてもいい、自分のペースでやろう!」という方針でのほほんと動き続ければ、当然ながら期限に間に合わずに(就職)浪人してしまうことも起こりうる。
もちろん、受験や就職のような人生を大きく左右するようなことでなくても、日々の仕事の締切のように人生への影響度は小さいが、かと言って油断するような真似はせず、コツコツと着実にこなすことが求められるものであっても同様である。
当たり前の話だが影響度が小さいからと言って締切ギリギリまで先延ばしにし、ロクなパフォーマンスを発揮できないままでは、評価が今一つになるのも無理はない。
なお、上でも触れたように「焦らなくていい」と先延ばし癖の口実として使う人は、一見すると仕事ができて計画的に物事をこなせるような人に見えて、実体は計画性も緊張感もなく、人間として非常にだらしがないことを隠し通すために「焦らなくていい」と言い聞かせる傾向がある。
また、この手の人は仮に時間的、精神的な余裕があったとしても、すぐさまやるべきことに取り掛かろうとせず、何かと理由をつけてサボろうとする癖がある。自分で自分を苦しめるような負の習慣が、コツコツと染み付いてしまっているだろうと分析している。
最後に
余談になるが、私が学生時代に某ファーストフード店でアルバイトをしていたときに、当時の店長から「君はもうちょっと焦りなさい」と指摘されたことがある。
当時の私にとっては「焦りなさい」という指摘自体、人生において初めて聞いたものであった。こういうのは失礼かもしれないが新鮮味があると同時に「焦らなくてもいい」というアドバイスの類が、必ずしも万能ではないと後々気づかされる言葉であった。
もちろん、ファーストフード店という一定のクオリティとスピードが求められる職場だからこそ出てきたアドバイスではあるし、おそらくだが「焦りなさい」という指摘には「自分の仕事に緊張感やプロ意識を持ちなさい」という意味合いがあったのだと思う。
もちろん、「焦りなさい」指摘としては決して優しい言葉ではないし「あなた、最近たるんでない?」という類の厳しい指摘だと思う。しかし、こういう厳しい指摘をしてくれる人と出会えたことには感謝している。
焦らないことを信条にしている人には想像できないかもしれないが、決して焦りや緊張感は悪いものではないし、むしろそれらを飼い慣らした上でいい仕事をする人もいるものだ。そういう人をバイトで見れたのもまた、いい経験になっていると過去を振り返って強く感じている。