SNSやyoutubeのコメント欄にいる嫌いなor苦手なコメントについて語る

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SNSやyoutubeでは気軽にコメントが残せるし、それにより文章や画像、動画の投稿者と直に交流できるのが魅力的だ。何らかのクリエイターであれば、ファンとの交流は自分の活動を長く続けるためには必須であろう。

しかし、最近感じるのがコメント欄にファンの悪ノリに近いコメントが溢れていてうんざりしてしまうことが多い。

それも、一人のクリエイターではなく、多くのクリエイター同様の悪ノリコメント(それも寒い)を連投しており、なんだか不気味さというか、うまく言葉にできない恐ろしさを感じることが多くなった…ということについて、今回は語らせていただく。

 

コメント欄で見かける嫌いな人、苦手なコメント

画像でコメントする人

twitter上でよく見かけるのが、コメント替わりに画像やイラストを投稿する人だ。

しかし、そのイラストがコラ画像や元ネタを知らないと理解できないようなもの。それも、元のイラストの趣旨や意図しているものとは違うものをコメント(イラストだが)して、盛大に滑っているように見えて、見ているこっちが恥ずかしさを感じてしまう。

いくらイラストであるからといって、場違いなコメントなコメントをしていることには変わりはないし、場違いなコメントであるからこそ「TPOをわきまえようね」という感情を抱いているのだと思う。

もちろん、コメントに関してとやかく言うこと自体、たいへん野暮なことだと感じてはいるが、自分が場違いなコメントをして、そのコメントツリーを見ている他の人に「あ、この人とは関わってはいけない」と思われていないか…について、今一度自覚すべきであろうと思う。

 

不自然なぐらいにベタ褒めする人

youtubeやfacebookに多いのが、不自然なぐらいにベタ褒めする。顔文字やキラキラとした装飾(絵文字)を使って、褒め言葉を列挙するコメントもまた、ある種の異様さを感じて「うっ」となってしまう。

まるで、褒めることそのものに自己陶酔しているようにも見える、褒める対象に自分が同化しており「その人を褒める=自分を褒める」という仕組みで自分自身が満足感を得ようとしているように見えて、なんだか近寄りがたさを感じてしまうのだ。

また、穿った見方をすれば「私はこんなに他人を褒めることができるんですよ」と、自分の人としての徳の高さを誇示することに目的がすり替わっているかのように、他人を褒めているように見え、その姿にナルシシズムや自己愛の強さを感じてしまう。

なお、褒められる側からすれば「褒められて嫌がる人はいない」というよくある考えのせいか、褒めすぎて怖いファンは大変扱いに困る存在であると感じていてもおかしくはないだろう。

 

 

「勉強になります!」「参考になります!」系

自己啓発や有益な情報を投稿する人のコメント欄に多いのが「勉強になります」系のコメントもまた、意識だけが妙に高い人…つまり、意識高い系の雰囲気を感じて、苦手意識を覚えてしまう。

すごく失礼なことを言うが、このタイプの人は「勉強になります」というコメントをすることが目的となっており、何かを学ぼうとしたり記憶を定着しているように感じることは、ほとんどない。

コメントしたら、学んだことの内容はすっかり頭から抜け落ちてしまうぐらいに、知識や教養が身についているようには見られない。(まぁ、身についていればこのような浅いコメントを残している自分に「恥」を感じるようになるとは思うが…)

言い方は悪いが、情報弱者や詐欺的な商売、悪徳商法のターゲットになりやすそうな人が、このタイプのコメントをする人には多く、一種の胡散臭さをまとったコメントであると私は認定して処理している。

 

投稿者とは無関係な別の投稿者の話題を持ち出す人

youtubeに多いのが、投稿者とは別の人の話題をコメント欄に持ち出して語りだす人もまた、妙な苦手意識を感じてしまう。

何らかのコラボをしたわけでもなく、投稿者とは無関係な人の話題を持ち出してきて、その人を知らない人の間でしか通用しないネタを書き込む。

書き込む場所を間違えていますよ…と教えたくなるようなコメントもまた、空気を読めていないコメントだと感じて、苦手意識を覚えてしまうのだと分析している。

 

 

ネットの嫌なノリでコメント欄を汚されているように感じてならない

私自身、ネットの世界に入る前にネット上のエチケット(=ネチケット)を学んだり、半年ROMってきたというバックボーンがあるからこそ、今のような誰もが気軽にコメントできるようになった結果、悪ノリがすぎて混沌としているコメント欄を見るとあまりいい気がしない。

まるで今まで地元の人が手入れをして綺麗に保ってきた観光名所に、その努力を知らずズケズケと入ってきて観光名所を荒らしていく迷惑な外国人観光客に感じる苦手意識と同じものを、悪ノリが過ぎたコメント欄には感じる。

いくら丁寧でその場にふさわしいコメントを残しても、一人でも悪ノリなコメントを残す人がいれば、それに便乗してただ騒ぎたい、悪ノリを楽しみたい人が集まってきて、コメント欄が汚くなる…その様子に(他人事ながら)怒りを感じているのかもしれない。

…ということを述べて、今回はお開きにさせていただく。