「あなたの生きづらさは甘えでは?」と言う人がいなくなることの弊害

ライフスタイル・生活
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最近HSPとか、繊細さんとか、自己肯定感などの言葉を見るたびに、世の中に生きづらさを抱えている人が多いんだなぁと感じることが多い。

しかし、この手の生きづらさを抱えている人に対しては、どうもモヤモヤとすることが多い。

失礼を承知でいえば、生きづらさを感じている人の中には、ただ他人や社会に対して不平不満を訴えているばかりで、自助自立の精神もなく甘えている部分あるのではないか、と思うことがある。

まぁ、こういうことを書くと「生きづらさを抱えている人を更に追い込むのか?」とか「生存者バイアスだろ」と言われそうだが、今回はあえてそれらの意見に配慮せず、生きづらさを抱える人に対して、厳しいことを言う人がいなくなることの弊害などについて個人的な見解を述べていこうと思う。

なお、内容的に決して優しく寄り添うものではないので、ナイーブな人はあまり見ることをおすすめしない。

 

「あなたは悪くない。あなたの生きづらさはあなた以外のせい」と優しく接する人の問題点

生きづらさを抱えている人に向かって「あなたは悪くない。悪いのは社会の仕組みや周囲の無理解のせいだよ」とか「生きづらいのはHSPという概念のせいだよ」という言葉を投げかけるのは、非常に優しい行為だろう。

優しさに触れたことで気持ちは休まることだろう。生きづらさを根本から解決することは叶わなくても、束の間の安息を得られるだろう。

しかし、あくまでもこうした優しさは気休めでしかなく、生きづらさを根本から解決するものではない。

加えて「生きづらさの原因の一部に自分の努力不足や甘えがあるのでは?」と、自分の力で生きづらさを少しでも改善できるかもしれない可能性を提示するようなものでもない。

とはいえ、自分を否定してこないので、この関係は優しい関係である。しかし、一方では自分の力で生きづらさを克服する道筋を示しているものではないし、自覚することも非常に難しく、もどかしい関係とも言えるのだ。

 

ネット上で生きづらい人に寄り添う人の不都合な事実

ネット上では生きづらさについて「甘え」のように強い言葉で主張する人は、ヒステリックなまでに叩かれる傾向が強い。

特にSNS上では文章や文脈、前後関係などお構いなく「甘え」という単語に脊髄反射するかのごとく反応する人が一定数存在しており、すぐさま炎上に発展するリスクがある。

ただし、こうした厳しい言葉が叩かれるネット上の人間関係は、生きづらさを抱える人にとっては非常に居心地の良いものだろう。現実の厳しさを感じさせない、まさに優しい世界そのものだ。

加えて、ネット上には「生きづらさの原因は○○(自分以外のもの)!」という派手なタイトルをつけた動画、記事、SNSの投稿などの情報が毎日のように溢れている。

このような生きづらさを抱える人に優しく寄り添う情報は、閲覧数を稼ぎやすいし、いいねやフォロワーもつきやすく、おまけに投稿者の人としての魅力も上がるというおまけつきだ。

 

しかし、こうした生きづらさに優しく寄り添う情報発信者もまた、意地悪な言い方をすれば、その情報を必要としている人に対して、自分の努力によって生きづらさを根本から改善する道筋を提示しているわけではない。

むしろ、「あなたの生きづらさは努力不足ですよ」というニュアンスを含むような投稿をしてしまえば、心に優しい情報を発信している自分の存在意義や影響力、場合によっては収入源を失う恐れがある。

だからこそ「あなたは悪くない。悪いのは○○だ」というような、気休めにはなる程度の情報を発信し続けているのだ。

 

生きづらさを解消するために他人に過剰な要求をさせてますます生きづらさを抱えるようになる

さて、このように生きづらさを抱える人の心に対して優しい情報を与え続けると、次第に増長して漬け上がり、周囲に過剰な配慮を要求するようになることがある。

こうなるのは推測だが「自分は社会の中で生きづらさを抱えている弱者である。弱者であるからこそ、周囲の人は自分に配慮して当然、理解されて当然、受け入れてもらって当然だ」というような考えを持ってしまっているのではないかと見ている。

ただし、この考えは非常にわがままなものであると同時に、相手の立場や状況を無視した独りよがりなものである。

こんな甘ったれた考え方では、周囲の人が配慮も、理解も、承認も共感もしてくれる可能性が限りなくゼロになるのも無理はない。むしろ「なんで見ず知らずの人の介護役を無報酬で引き受けなければいけないのだ」という反感を持たれても無理はない。

しかし、ここで厄介なのが「周囲の人たちが自分を受け入れてもらえずに辛い。もっと優しい世界になるべきだ」と、あくまでも理解してくれない周囲の方に原因があると捉えてしまい、自分の考え方や他人への期待値を下げる努力にまで考えが至らないことである。一言でいえば、年だけとった駄々っ子状態になるのだ。

 

最後に、そんな大きな子供状態の人が生きづらさを解消するには「大人になる」ことが重要だ。

つまり、自分を省みるとか、他人と折り合い協力する姿勢を持つとか、厳しい声にも耳を傾ける…というような、自分の心には優しくないが生きづらさを自分の努力で解決できる可能性が高いものを受け入れてみることが大事なのだ。