人気ご長寿番組の「笑点」を見ていると、番組内外で「林家三平はつまらない」という評判を目にすることが多いし、実際私も他の笑点メンバーと比較すると、今ひとつ面白さが分からないというか、「なんともコメントしづらい回答を相変わらずしているなぁ」という感想を持っている。
単純に才能がないとか、稽古不足という意見もあると思うが、この記事ではそれらの点以外でなぜ三平師匠つまらないと感じてしまうのかについて個人的な考察を述べていく。
局所的な身内ネタが多く視聴者の共感を呼びづらい
まず三平は自分の身内ネタをよくする。妻や父親である初代三平のネタをよく口にするが、私自身はかろうじて林家こん平や先代圓楽から笑点の大喜利を見始めた世代なので、ネタについていくのに苦労する。
なお、司会の春風亭昇太が結婚してからは妻に関するネタも出しづらくなっている。また、師匠の林家こん平に関するネタができる…が、こん平ネタなら橙色の着物でお馴染みの林家たい平の印象が強い。
このような制約のせいもあってか、笑点内で通じる局所的な身内ネタ自体は初登場の2016年の頃と比較して減ってはいる。しかし、そもそもあまり共感を呼べず、視聴者の大半が知ってなさそうな身内ネタを登場して間もない頃から出してしまうところが、面白くなさに繋がっているのだと見ている。
普段の会話でも身内ネタはある程度相手のことを深く知らないと、後述するようにただの自慢話や自分語りになってしまい、聞く方を置き去りにしてしまうものである。
自虐ですらも自慢に聞こえてしまう(自虐風自慢)
家柄が家柄なので、どうしても自慢っぽい回答になってしまうのが林家三平の回答なのだが、それではさすがにまずいのか時々自虐を交えた回答をすることもある。
だが、その回答がどことなく自慢に聞こえてしまう。つまり、自虐風自慢になってしまうために、面白くないと捉えてしまうのだろうと分析している。(むしろ三平嫌いに繋がっている気配すらある)
これは私の個人的な印象だが、林家三平は落語家というよりは俳優、タレントのような存在であり、視聴者に対して笑いを提供することよりも、視聴者に対して自分をアピールしているという印象が強い。
もともとタレント業に熱心な時期もあったので、当時の姿勢のまま笑点の挑んだでいるのかもしれない。その結果、視聴者に対して笑いを取る舞台では、どうしても他の笑点メンバー&座布団運びと比較すると、つまらないという印象が強くなってしまうのだと分析している。
キャラが定まっていないので、視聴者視点で見てどのように笑えばいいのかが分からない
これは笑点に限らず多くの人間関係に言えることだが、新しいメンバーが入ってきた時というのは、その人のキャラがある程度固定するまでは、どうしてもうまくかみ合わない時期があるものだ。
とくに、笑点メンバーのように各自が強い個性(キャラ)を持っている場合だと、短期間でその個性に負けないようなキャラを新入りである三平が身に付けるのは難しいだろう。
また、どのようなキャラなのかがはっきりしていない以上は、視聴者の方も「三平の回答をどのように楽しめばいいのか」と困惑してしまうものだ。
「圓楽=腹黒、社会風刺」「小遊三=下ネタ、秩父、悪事ネタ」…のように、どの回答者がどのような回答をするかは、ある程度笑点を見ている人なら簡単に想像できる。そして想像できるからこそ、「あ、これはあのネタが来るな!」というように、期待している回答が来るかどうかを楽しむことができるのだ。
なお、強いて言うなら「三平=面白くない」というキャラがあると言えるが、後述するように面白くないというキャラ、そしてそれに関するネタをしている回答者がすでに二人もいる。ここにも、三平の面白くなさがあると私は見ている。
「面白くないキャラ」がすでにキャラ被りしている
頻度こそ多くないが、好楽&木久扇も時々面白くない回答をすることでシュールな笑い(あるいは沈黙)を取ることが多い回答者である。
好楽の場合は「面白くない→スケジュールが白紙→暇人、貧乏」という具合に繋げて笑いを取れている。また、面白くない回答をした時に哀愁を漂わせる芝居も印象的だ。どっとした笑いを呼ぶものではないにしても、視聴者に対して親近感や芸の細かさを印象づけている。
木久扇の場合は「面白くない→脳が空っぽ、おバカ、子供に先に回答されてしまう」という具合に繋げられている。また、ごくまれに社会風刺ネタを口にして、まさに馬鹿と天才は紙一重であるかのようなギャップを感じさせる。芸歴の長さがなせる名人ならではの回答といえよう。
そんな中で三平は、ただ「面白くない」で終わってしまっている。すでに二人も「面白くない」でネタ&キャラかぶりしているのに、その後の笑いに繋げる展開もできていない。
そのため、本当にただ面白くない回答をするだけで終わってしまう回答者という印象が強いのではないかと思う。