私の持論だが、完璧主義をやめられない人は単純に真面目だとか努力家のような肯定的な理由だけではない。
むしろ、他人に影響されすぎて自分で自分のやることなすことを決められないことが災いしたり、自分の決めた選択に対して責任を取るという覚悟・自信がないこと、「自分は完璧にやった」という言い訳を手放すこと…など、あまり肯定的ではない理由が完璧主義をやめられない理由になっていると思う。
ただし、この手の理由は基本的に完璧主義で今まさに悩んでいる人の心に強い負荷をかけるために、他人から指摘されることはまずない。
下手に指摘してハラスメントやいじめ、行き過ぎた指導と言われるリスクが年々強まっているからこそ、完璧主義になるとよほどのことがない限り誰も手を貸してくれずやめられなくなる…という世間の流れができていると私は考えている。
…さて、話は逸れたが今回はそんな完璧主義がやめられない人の特徴について、個人的な見解を述べていこう。
周囲に影響されて完璧主義になったために、自分で自分に判断を下すことができない
- 他人の目を気にする癖が強い人
- 自分の評価は他人からの評価で決まるという考えが強い人
- 自分の判断で動くよりも他人や周囲の判断で動く癖が強い人
など、周囲の人に影響されやすくて且つ自分で自分の行動を決めることを避けてきた人は、完璧主義をやめにくい人である。
いざ完璧主義をやめようとしても、自分のやることなすことを自分で決断する事を今までしてこなかったために「何をどうしたらいいのかわからない」と混乱してしまう。
また、自分で判断し行動することは、言い換えれば他責ではなく自責で判断・行動する事である。つまり、行動の結果として起きた何らかの不利益やトラブルを他人のせいにできず、自分で引き受けることが求められる。
しかし、今まで周囲に影響され続けて生きてきた人は、他責思考が染み付いており自責で物事を考えることに強い抵抗を覚える。「何かあったら自分の責任。そんなの心が耐え切れない」という心理が働いた結果、完璧主義的な生き方に不満を持ちつつもそこから脱せなくなるのだ。
ただ自信がないのではなく自分の判断に責任を持ち結果を受け入れる自信がない
「完璧主義な人は自信が無い」という説明は、完璧主義について扱っている本やサイトなど、いたるところで目にすることだろう。
私個人的な意見だが、この「自信が無い」だけではやや説明が不十分だと思う。説明を付け加えるとしたら「自分の判断に責任を持ち結果を受け入れる自信がない」となる。
あまり堅苦しくなくイキった表現になるが、精神的に未熟で大人になりきれてない、自分の人生を生きようとする覚悟がないから、他人の顔色を強く見続けて完璧主義を続けてしまうのだ。
…ただ、こういう「大人になりきれていない」という意見は、今のご時世なかなか言いにくいものである。
「いい年して…」みたいな表現は時代に合ってないと思うが、私個人的にはこの「いい年して」という表現を使ったほうが、(荒療治ではあるが)完璧主義を直すきっかけになる人がいると思う。
「完璧にやろうと努力したけど失敗した」という言い訳を手放すことが怖い
完璧主義がやめられない人は、一種の言い訳として完璧主義を有効活用している傾向がある。
たとえば仕事の成果がいまひとつだった時に「自分的には完璧にやったんですよ(=サボってないし、無能ではありません!)」と、自分の努力を相手にアピールしつつ、指摘してくる人を責め立てて被害者ぶるための都合のいい言い訳として、完璧主義であることを活用する。
まぁ、こんな見苦しい言い訳をしても状況は何も改善しないし、好感度が下がってますます居場所を失うだけなのだが、完璧主義な人的には「自分は頑張ったので悪くない」と強引な自己肯定をして自分を励ます心理的な安全を確保することができる。
もし、完璧主義をやめれば他人から指摘をストレートに受け入れざるを得なくなる。それが怖いからこそ、完璧主義に苦しみつつもやめられない状況になるのだ。
最後に
最後に完璧主義を引きずっていまひとつだつがあらがない人、あるいはこじらせてグズグズする癖、先延ばしする癖がついている人にむけて、やや荒っぽいが克服できるかもしれないイメージトレーニングについてサラッと書く。
それは、もし自分がグズグズと完璧主義を40歳、50歳、60歳…とこじらせ続けてしまう未来を想像することだ。
完璧にこなそうとして、でもうまくいかず中途半端な結果を出し、自己嫌悪し続ける。気が付けば自分より若い人が頭角を現すことに焦燥を覚えるも、自分で自分を変える勇気がなく無駄に歳を重ねて、老い衰えて死の間際になって「あぁ、他人の顔色ばかり見て完璧に生きようとしなければ良かったなぁ‥」と後悔する…。
そんなイメージを想像してみることが荒療治ではあるが、完璧主義をやめるきっかけになると思う。
…こう書くと、なんとなく高所にて鉄骨を渡る人々のイメージだとか「人は仮になど生きていない」というどこかの中間管理職の人のセリフが浮かんできて、胸がざわざわする人もいるかもしれない。
完璧であろうとなかろうと、今生きているこの瞬間が本物であり本番であることに気がついているかどうかが、完璧主義な自分にウジウジグズグズ悩み続ける日々を脱出するためには重要だ。