この記事は「できないくせに完璧主義になっている人の特徴について説明する」の続編である。
完璧主義の人の中には、プライド(ここでは虚栄心、自己愛、理想の自分像のニュアンス)が非常に強い過ぎることが影響している人がいるものである。
今回はそんな人の特徴を以下で説明していこう。
自分を大きく見せるための行動だけは完璧にこなそうとする
完璧主義でプライドが高い人は、自分を実物以上に偉い人間だとか、優れている人間だと周囲に思わせるためだけの行動を完璧にこなそうとする傾向がある。
たとえば
- 肩書きや経歴を盛りに盛る。この時に「昔はダメ人間だった」という過去を加えて、より今の自分のスゴさを印象付ける盛り方をすることもよくある。
- 人脈自慢をしつこくする。このときに「経営者や有名人と関係があって~」と肩書きのある人や権威ある存在をちらつかせることも多い。
- 月収自慢やフォロワー数、いいね数自慢など、数字を使って自分を脚色する。彼ら的には「数字=戦闘力、自分の魅力・説得力」という図式があるのだろう。
などである。
個人的にはこのような過剰な自己PRばかりを完璧にこなす様は、それだけ自分の本当の姿を見られるのを嫌がっているように思える。
飾らない自分を見せられないし、見せたくないし、見せてしまったら自分が傷つく(≠相手を失望させる)。だから自分を虚飾で覆う癖が抜けないのだと見ている。
客観的な評価を受ける場面、競争する場面を避ける
プライドの高い完璧主義な人は、受験や就活、スポーツの試合のように自分の今の評価が客観的に突きつけられるような場面、他人との競争が避けられない場面をひどく嫌がる傾向がある。
シンプルに自分の能力の低さを周囲に露呈し、自分のプライドが傷つくのを嫌がるため、なんとかして競争事を回避しようとしたり、競争そのものや競争に参加する人や社会の風潮を批判する傾向(他席傾向)がある。
結果を出すべき場面で途中まで頑張るが、最終的には手を抜きうやむやにする
また、人によっては競争途中でリタイアしたり手を抜いてしまうなどの行為に及び、中途半端な結果で終わらせようとすることもある。
理想としているパーフェクトな結果が出ないのであれば、途中でリタイアして「結果無し」という状態にする。これは「本気出せたらもっといい結果出たんだけどなぁ~」という、全力を出して本当の実力を残して置くことで、プライドを守っているのだ。
自分の全力の競争の結果を未確定なものにしておくことはつまり、完璧な自分像が一応まだ崩れてはいない状況であり、未確定の可能性を自分の中に持ち続ける状態にする。これによりプライドを守っているのだ。
また、中途半端な結果を出すぐらいなら、自分で勝負から降りて結果無しの状態にしてしまったほうが、周囲から「あの人完璧を求めいたのに、大した結果を残していなかったな…」と思われて、自尊心が傷つく状況を避けられる…という解釈もできる。だから、途中リタイアして結果をうやむやの状態にしてしまうのだ。
余談だが、練習だけは猛烈に努力し、その上で振るわない結果を出し「あれだけ頑張ったのだから、結果がどうあれ凄いことだよね」と周囲からの温情を期待するケースもある。
ただ、どのケースにせよ自分の出した結果や客観的な評価に向き合っていない点は共通である。
聞かれてないのに自分で自分を完璧主義と言う事が多い
プライドの高い完璧主義者に特徴的なのが「自分って完璧主義でさ~」と、自分で自分を完璧主義者であると言うことが多い。それも、聞かれていないのに何かにつけて完璧主義を自称するのだ。
これは「君って完璧主義だよね?」と他人から言われることに心が耐えられない…というか、良い悪い含め、他人からあらゆる評価を受ける事に対して、ひじょうに打たれ弱いことが影響していると考えている。
恋愛において振られる前に自分から振ってしまう人のように、自分から完璧主義だと自称しておけば、傷つきを未然に抑えることが出来る。
だから、この手の人はまるで予防線をはりまくるかのように完璧主義を自称するのだと見ている。
良い評価も悪い評価もどちらも極端に嫌がる
上からの続きになるが、プライドの高い完璧主義者は低い評価を受けるのを嫌がるのは自然だが、同時に高い評価を受けたとき過剰に謙遜したり、どこか素直に受け取っていない素振りを見せることがある。
まるで自分以外は全員敵かと思えてくるように、他人からの良い悪い関係なくあらゆる評価を完璧に拒んでいるような節が見られるのだ。
こうなるのもまたプライドの傷つきを強く恐れていることが影響していると思うが、かと言って孤独への耐性があるわけではなく、孤独から逃げるように人に触れてはストレスを溜め、それが嫌になったら孤独に戻ってストレスを溜め…と堂々巡りし、最終的には人間関係リセット癖を発動させてしまうことがある。
プライドの高さ関係なく、完璧主義者によくある極端から極端に移り変わる思考の激しさが影響しているのだろう推察している。
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