意識高い系の学生だった頃、どうも本人の能力は低い…というか下手すれば平均以下なのに、なぜか完璧主義に陥っている人をよく見かけた。
ただ単純に失敗を恐れているから完璧主義になっているとか、プライドが高すぎるだけ…と言われればたしかにその通りだが、私個人的にはそれ以外にもいくつかの理由や特徴があると感じた
今回はこのことについて解説していこうと思う。
「ちょっと頑張ってダメだった」では心が耐えられず「めちゃくちゃ頑張ってダメだった」の状態に持っていこうとする
できないくせに完璧主義になる人は、自分の努力の結果が出る場面において「ちょっと頑張ってダメだった」という状態に耐えるだけのメンタルが備わっていない。
もし、ちょっと頑張ってダメだったという結果だと、シンプルに自分の能力の低さをひけらかすことになって強く傷つくのは明白。
それを回避するために完璧主義になる…つまり、「めちゃくちゃ頑張ってダメだった」という状況に持っていこうとするのだ。
ただし、そもそもが能力が低く、また努力の内容も低レベルというか明後日の方向を向いているものが目立つ。試験勉強の息抜きとしてやる掃除の方がメインになるような努力であるため、当然いい結果は出るはずがない。
しかし、当の本人は「結果はどうあれ、自分はこれだけ頑張ったんだ」とどこか誇らしげな素振りが目立つ。純粋に強がっているだけかもしれないが、傍目には「あれだけ努力してこの結果なの?」とか「純粋に努力の内容に問題があるのでは?」と懐疑的・否定的な目で見られやすい。
ダメだった時の言い訳を用意するために完璧主義に陥るケース
能力が低いのに完璧主義に陥るのは、ダメだった時のもっともらしい言い訳を用意する目的があると思う。
上からの続きになるが「ちょっと頑張ってダメだった」場合は、「努力量が足りない」と周囲から批判されメンタルが傷つく可能性が高い。
しかし、完璧主義になり「めちゃくちゃ頑張ってダメだった」場合は、「まぁ、これだけ頑張ってもダメだったんだから、運が悪いよね」と言い訳して批判を封じ込めやすくなる。
いわば、完璧主義になるのは「自分は全力を尽くした、でもダメだったんです。だから厳しい目で見ないでください!」と、周囲の人の情に訴えかけているのと同じである。
もちろん、シビアな世界ではこの言い訳は通用しないのだが…周囲に優しい人ばかりがいる馴れ合いの色が強い集団の場合はそうとは限らない。批判よりも「あれだけ頑張れただけですごい」とチヤホヤしてくれる可能性も高まるので、そのためにあえて完璧主義になっていることもあるのだ。
能力のなさを自覚しているからこそ、せめて完璧にこなして好印象をつけようとする
能力の無さを自覚している人なりの生存戦略として、せめて完璧にこなして周囲から好感を持たれる存在になる。そのために、完璧主義にならざるを得なくなっているケースもある。
とくに、学生時代のように結果よりも努力(プロセス)が大きく評価される環境で、この方法で好感や人望を獲得してきた人は、社会人になり仕事で結果を出すことが求められる場面になると、完璧主義が仇になりロクな結果を残せず居場所をなくしてしまうことが目立つ。
また、この手の人はとにかく人に相談しないし、連絡や報告をしない傾向があるため、真面目に頑張っているように見えるが協調性がない、隠し事をしている、心を開こうとしていないという悪印象の方が上回りやすい人でもある。
そんな状況を自覚して完璧主義を手放せればいいのだが、中には「周囲の人は自分の努力を認めてくれないし、むしろ不真面目な人の方が評価されている。正直者がバカを見る世の中はおかしい」と職場や世の中を恨む態度が強まり、ますます居場所の確保も取り扱いも難しい人になってしまう傾向があるのだ。
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最後に
大抵の人はできないくせに完璧主義な人に時間を使うほど暇ではないし、仕事のようにシビアな結果が求められる場面で、わざわざこの手の人に好き好んで関わろうという物好きな人はいないものである。
そのため能力の低い完璧主義者は、よほどのことがない限りは放置の対象になりやすいのだ。
余談だが私自身、昔から(やや暗めの)フィクションを嗜むことが多いためか、完璧主義な人はフィクションの世界のキャラクターとしては非常に魅力的である。
しかし、現実世界の場合は遠くから眺めている限りにおいては気楽に見れるものだが、もし自分の部下になったとか、家族・親族にいるとかとなれば地獄を見るであろうことは想像に難くない。
完璧主義を含めて性格的に尖っている人は他人事なら気楽だが、いざ自分に直接影響を与える範囲に現れると「めんどくさいなぁ」という気持ちになり、見限られるものである。
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