歴史から見る「川の近くに住んではいけない論」を説明する

築40年賃貸マンション体験記
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ネット上やリアルの人間関係の中でも「川の近くに住んではいけない」(or川の近くに家を建ててはいけない)という類の話を見聞きしたことがあろうかと思う。

大抵は

  • 水害リスク
  • 湿気で建物自体が傷みやすい
  • 治安・民度の悪さ
  • 埋め立て地の場合は液状化現象が不安

…などが理由として語られるが、この記事では主に歴史の観点から「川の近くに住んではいけない論」を語っていこうと思う。

ただし、あくまでもこの記事での説明は、私が博物館で見聞きした一つの情報であり全ての川の近くの地域に当てはまるものではないとを、さきにお断りさせて頂く。

 

京都の嵐山(桂川)近辺を例に

私はかつて趣味の旅行で京都の歴史に関する博物館を訪れたことがある。

そこには、今からおよそ1000前の平安時代の京都を再現したミニチュアモデルが展示されており、施設の人から当時の嵐山近辺の歴史や現在に至るまでの変遷を聞くことができた。

嵐山といえば、国内外から多くの人が訪れる観光地である。桂川にかかる渡月橋、さらに西に進んだところで楽しめる保津川下りはなど、何かと川に関連がある観光名所だ。

しかし、その嵐山が現在のようになったのは、江戸末期~明治時代頃であり、それまでは水害の多い地域で人が安心して定住できるような場所ではなかったと施設の人は語られていた。

展示されていたミニチュアモデル(平安時代の頃を再現)では、今で言うところの嵐山に相当する部分は、山と川に囲まれた土地であった。また、嵐山近辺の平安京の区画を見ても、人ではなく田畑や牛が存在しており、人が済む場所として定着していないのが見て取れた。

 

かつて川の近くは水害・疫病が起こりやすい土地であった

平安時代の嵐山に人が住んでいなかった理由として、施設の方が語られていたのが

  • 水害が発生しやすい地域であったこと。
  • 疫病が発生しやすい地域であったこと。

の2つであった。

水害は言わずもがな洪水のこと。もうひとつの疫病は、天然痘などの流行病であった。

純粋に考えてみて、水害や流行り病が発生しやすい場所に、普通に住もうと思うだろうか…と言われれば、答えは「いやどす」だろう。

とくに平安時代の医療事情は、現代とはわけが違う。わざわざ健康を脅かすような土地に住むような真似はしないと考えるのが自然だ。

結果として、平安時代の嵐山近辺は平安京の近くにはあったが、その中でもまだまだ未開の土地であった。冒頭でも触れたように、今のように人が住むようになったのは江戸末期以降と言われている。

 

嵐山と鴨川との比較

京都を代表する川で忘れてはいけないのは「鴨川」だ。

祇園界隈や四条通といった京都の歓楽街、清水寺、八坂神社、知恩院など、有名な寺社仏閣が近くにある。納涼床も鴨川の楽しめる名物である。

そんな鴨川は平安時代には嵐山と違って人々の生活に非常に密接した川であった。平安京が造られる頃から周囲に堤防が作られた。その後は、鴨川近辺に田畑を作ってはいけないと時の朝廷は命じるほど、治水に力を入れていた。

加えて、当時の平安京は嵐山がある西側よりも、鴨川のある東側のほうが栄えており、そのことが治水を重要視される要因になったとされている。

しかし、それでも水害を完全に防ぐことはできなかったが、その度に復興&治水対策の強化が行われた。鴨川の治水は平安京に住む人&朝廷の体制維持のためにも、重要な役割を果たしていたのだ。

 

巨椋池(宇治川)と民度の話

また、京都といえば巨椋池(淡水湖)の話も有名である。こちらは宇治川が流れ込んでいた池で、昭和初期に埋め立てられ農地や住宅地になった。

しかし、巨椋池もまたかつての嵐山同様に疫病(マラリア、蚊由来)が発生しやすい土地であった。埋め立てられもその地域に対する風評被害があったために、安心できる生活を求める人からは不人気な土地であったと説明された。

また、干拓事業が済んでからも台風により宇治川が氾濫が起こし、巨椋池があった地域が浸水するなど、人が住むには危険な状態が続いていた。

後に宇治川に上流部に天瀬ダムを建設。水害対策はされたが、人が住んでいた歴史がほぼない地域であったため、一時は非常に治安が悪い地域として京都の人の間では言わずと知れた有名な土地であった。(※現在は民度は上がっており、京都の中でも平均的である模様。)

 

歴史がない土地だからこそ民度が下がる

このように、人があまり住みたがらない川の近くの土地は、古くから人が住んでいない。つまり、人としてのモラルや品格に乏しい人が住みやすい地域であるために民度が下がる…というのが、施設の方が語っておられた仮説である。

京都といえば古くから続く家柄の人たちが、京都人としての歴史と品格を守り受け継いでいるからこそ、(他府県民から意地悪と言われているが)民度の高い人というイメージがある。私が関わってきた京都の人もまた、民度の高さが伺える人が多かった。

しかし歴史の浅い場所だと、そもそも守るべき歴史も品格や矜持もないので、必然的に民度が低くなるのだ。

また、過去に水害があったという歴史を知っているからこそ、自分の身の安全のことを冷静に考えられる人や、多少値段が上がっても住む場所を選べるだけの経済的余裕のある人たちが住もうとはしない。

従って、(やや暴論になるが)あまりものごと冷静に考えられない人や、安いところに住まざるを得ないほどに経済的に苦しい人が川の近くに住むことになり、民度が下がってしまうのである。

もちろん、川が近くても治水技術がしっかりしていたり、鴨川近辺のようにブランドがついている地域は、その限りではない。何度も言うが、観光地として整備された嵐山や巨椋池干拓地周辺も今は民度は良くなってきている言われている。

川の近くと一言に言っても、その川を取り巻く歴史をよく調べておくことが、物件選びにおいて重要になるのだ。

 

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